『百刀の剣士』の公演が終わって、ガタラの表通りに戻った頃には、すっかり夜が深まっていた。
四年ぶりの観劇だというのに、その内容はまるで頭に入ってこなかった。一時は治まったはずの頭痛が、公演の途中から再び酷くなったからだ。
頭が割れ鐘のようにぐわんぐわんと痛むせいで、まともにものを考えることができなかった。
朦朧とする意識の中、俺はいつの間にか、ガタラズスラムの雑多な通りに入り込んでいた。
立っているのも辛くなり、道端に座り込むと、いよいよ動けなくなってしまった。
ぼんやりと空を見上げる。スラムの路上もゴミだか何だかでひどい有様だが、上方も上方で木屋根とテントの覆いが複雑に絡み合い、夜空など微塵も伺い知れるものではなかった。
俺の視界には、不気味な青い筋のようなものがそこら中に浮かんでいた。どくん、どくんと血管のように脈打つそれは、俺の耳から湧き出ている。
時間が経つほど視界を埋め尽くされ、終いにはスラムの様相がまったくわからなくなってしまった。
何をやっているのだろう、と、ふと思った。
家出してからの四年間は、『転落』という表現がふさわしい時間だった。
箱舟と馬車を乗り継いでヴェリナードにたどり着き、補欠合格ながら魔法戦士団に滑り込んだまではまだ良かった。雑用ばかりだったし、ユナティ副団長に散々にしごかれる毎日ではあったが、あの期間は家のことも忘れられるほど充実していた。
ツキを失ったのはわずか半年後のことだ。グレンのスクールに行っていたころの親友から、「夢だったガタラーヒルズ建設の資金調達のために、連帯保証人になってくれないか」と頼まれ、快く引き受けてしまった。そこからのことはもう目も当てられない。
親友は事業に失敗して雲隠れし(そもそも、彼も誰か悪い奴にそそのかされていたのかもしれないが)、連帯保証人だった俺のところにまでガラの悪い連中が現れた。「このままでは魔法戦士団の名に泥を塗ることになる」と危惧した俺は、世話になった戦士団に別れを告げぬまま夜逃げした。
三ヶ月の逃亡生活の末、俺はとある村で借金取りどもに捕まった。暴漢に襲われるウェディの女をどうにか助け、「お礼がしたい」と連れ込まれた小屋の中に、オーガの屈強な借金取り達が待ち構えていた。このウェディこそ、今現在俺から金をむしり取っていく女傑、例の『借金取り』だった。ああ、暴漢もきっとグルだったんだろう。今だからこそわかる、あの女が暴漢に襲われて大人しくするタマなわけない。
その後袋叩きにされた挙句、三億ゴールドもの借金を抱えた俺は、あらゆる手段で金を稼ぐ男になったのだ。裏クエストという薄暗いバイトにまで手を出して、自らの節操のなさに呆れてしまうほどだ。
全く、我ながら情けない。英雄を夢見ておいて、母まで巻き込んで稽古をつけてもらっていたのに、俺はその意志を最後まで貫くことができなかった。
こんな薄汚れた身なりでは、英雄になることも、家に帰ることもできない。なんというくだらない末路なんだろう。
これはきっと、夢を最後までやり遂げることができなかった罰なのだ。だったらもう、このまま頭を割られて死に果てた方がいいか。
がりがりと、自分の頭の中が何者かにかじられる音を聞きながら、
「脳髄を舐めるもの、『マシラの舌』、この世にお前が喰えるものはない」
そう、凛と告げる声を聴いた。
ばちゅん、と何かが弾ける音がした。それだけの言葉で、青い血管は霧の如く消え去った。
呆然と見上げる俺の視線の先には、相変わらず不機嫌そうな顔をしたポポムが立っていた。
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