――疾風が通り過ぎる。
俺を組み伏せる呪術王の身体が、突如現れた何者かの巨体に弾き飛ばされる。ドッ、という重い音が遠くで響いた。
あっけに取られた俺も、その何者かに首根っこを掴まれて、飛んだ。先ほど呪術王に殴り飛ばされたときの比ではない、上空十メートルほどを跳躍した。
俺を引き上げた何者かがトスッと着地して、俺の身体をドスッとぞんざいに放り出した直後、俺はその何者かの姿を見上げた。
状況を理解できない俺の鼻腔に、濃厚な獣臭が流れ込む。
果たしてそこには、見上げるほどの巨大な狼がきつ立していた。
体高数メートルに及ぶ巨体を支える四足は、数日前に見たカイザードラゴンの脚と同程度に太い。犬科特有のマズルには、やはりドラゴンに匹敵する巨大な牙が並んでいる。先ほどまで俺の首根っこは、この巨大な牙に器用にくわえられていたわけだ。
その体毛は、月光を受けて銀色に輝いていた。神々しいまでの大怪獣である。
「――アンタ、一晩で何件厄介ごとを引いてくる気よ」
その大怪獣の背には、なぜだか見覚えのある小さな背が乗っている。いかにも不機嫌そうな声が、満身創痍の俺に投げつけられた。
「ただの喧嘩なら放っておくつもりだったんだけど、死にかけてるとなったらさすがに止めに入るしかないわね。念のため、ガイアに監視させておいて良かった――」
その女――ポポムは、反対側の地面に幽鬼のように立つ男を睨みつけた。
「――で、うちのモンに無体を働いたアンタ。二年間も逃げ回っていたくせに、ガキみたいな喧嘩に興じる暇があるとは驚きね――縄につく覚悟はお有り?『虚ろの呪術王』カワキ」
呼びかけられた男――呪術王カワキは、なおも幽鬼のように立ち続ける。謎の大狼に追突された衝撃は相当なもののはずだが、男に明確なダメージがあるようには見えなかった。
カワキという男が口を開いた。
「『虚ろ』なんて二つ名に付いた覚えはない。そもそも『呪術王』の二つ名もベリルが勝手につけたものだが、『呪術王』の名に手を加えた輩がいるなら、そいつも抹殺対象だ」
「私はポポム。六王会議直属、世界警察警視長の座を預かる者よ。呪術王カワキ、アンタには逮捕状が出てる。主な罪状は市井の人々の拉致監禁及び暴行罪、第一種禁呪指定呪文『ソロウ』の無許可使用、および違法麻薬『ジャム』の製造。二年前の家宅捜索の際の妨害と逃亡により、公務執行妨害罪も追加されているわ」
呪術王の弁を無視し、淡々と罪状を読み上げたポポムに、呪術王は吐き捨てる。
「ハッ!アレを『家宅捜索』と言うのかよ。ぞろぞろ冒険者と軍人引き連れて、俺たちのアジトに突っ込んでくるってんなら、『武力突入』とかもっともらしい単語を当ててしかるべきだろう」
チッとポポムが舌打ちをした。
「ええ、確かに『捜索』なんて単語で収まる被害ではなかったわね。たかだか市井のチンケな犯罪組織を捕らえるだけのはずが、手練れの冒険者五人が死に、重傷者もかなりの数に及んだ…全部、アンタが作った魔物や兵器のせいよ」
「知った話じゃないな。あのアジトでそいつらの運用を支持したのはベリルだ。ベリルに乞われて作った代物ではあるが、それがどう使われて、どれだけの人が死のうが、俺の知ったことではない。罠に備えず突入してきた、お前たちの間抜けだ」
呪術王が笑いながら吐き捨てた。
その、命を命とも思わない台詞が頭に来た俺は、ぼろぼの身体を押して再び立ち上がろうとしたが、ポポムに後ろ手に静止された。
ポポムが短く、小声で、鋭い語調でささやいた。
(死にたくないならそこで転がってなさい。私より前に出たら、ガイアに首筋噛ませるわよ!)
こちらを一瞥もしないが、有無を言わさぬ気迫が見て取れた。俺はぐっ…と堪えて引き下がった。
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