呪術王は右手を掲げて呪文を唱えようとする――が、すぐに詠唱を止めた。その理由は俺にもわかった。俺たちの後方、ガタラ市街地へとつながる門から、ワーワーと大勢の声が近づいてきたからだ。
「ここに来る前に、ガタラ駐在のモンスター討伐隊に応援要請を出したのよ」
「――このクソアマ。俺と悠長に会話してたのも、全部時間稼ぎが目的か」
「クソアマで結構。どうする?いくら呪術王でも、精鋭の部隊相手に連戦したくはないでしょ」
呪術王はチッと舌打ちする。
「…仕方ない。今日は退散するとしよう。どの道、立体魔法陣の数列を奪えた時点で、他の戦闘は全くの蛇足だ。お前たちにとどめを刺すのは後回しにしてやる」
「それは結構。『オールドレンドア』のアジトで、精々首を洗って待ってなさい。近いうちにお邪魔するわ」
「…フンッ、やってみろ。二年前の轍を踏みたいんだったらな――いや、今度はあの時の比じゃない。『アレ』はもう完成間近だ。完成したら、もう世界のどこにいようと関係ない。お前も、お前の仲間も泣き叫びながら、大地のすりつぶされる様を眺めるがいい」
捨て台詞を吐いて、呪術王はその場を立ち去ろうとする。
「待ちやがれテメェッ!」
もちろん、そのまま大人しく逃走を許す俺ではない。息を整えてようやく立ち上がった俺は、呪術王の背中を怒鳴りつけた。
ぎろりと、背中越しに呪術王が睨む。
「――今さらなんだ。そこのドワーフ女以上の木っ端が」
「…や、やかましい!今日のところはポポムの顔に免じて逃がしてやる!!だが――だが、これで終わりじゃねえぞ!二年もこの俺にいらんもんを植え付けて人生を台無しにした落とし前、必ずつけさせてやる!!そんスカしたツラに拳骨かましてやるまで許さねえから覚悟しとけ!!!」」
俺は呪術王に向かって吠えた。二年前のことを思い出した以上、俺は俺の復讐を遂げなければならない。呪術王をこのまま野放しにしないというのは、俺にとっても重要なことだった。
すると、呪術王は懐から何かを取り出すと、勢いよく俺の顔に億劫そうに叩きつけた。ぐにゅんという妙な感触を感じた。
うまくキャッチした俺は、それが握りこぶしほどの小包であるとわかった。
「――その威勢、その中身を見てもまだ張れるか。いい加減、鬱陶しいんだよ、羽虫」
憎悪に満ちた視線を正面に向け、ヒューン…という独特な音とともに、呪術王は姿を消した。
恐らく、ルーラ<転移呪文>を使ったのだろう。ルーラストーンじゃないルーラなんて初めて見たが、あの呪文のオンパレードを見た後だと、大した驚きではない。
俺は、呪術王から受け取った小包の中身を確認した。
「―――うっ」
―――――――――――――確認するんじゃなかった。不意に戻しそうになった胃の腑の中身を、必死に押し戻した。
小包の中身は、切り落とされた耳の片方であった。魚のヒレのような形で、先端は薄いオレンジ色。水色を呈した付け根側の部分は、冷えて固まった血でガチガチになっている。どう見てもウェディのそれ。
誰の耳なのか――なんて、考えるまでもない。
呪術王に捕まり、なにかしらの拷問を受け、あげく片耳を切り落とされたウェディ…という情報が揃っていたら、答えは明白だ。
俺は、昨夜別れたばかりのあの女――ウェディの借金取りの勝気な顔を思い浮かべた。
『もしも私が死んだら…私のことは忘れてくれ』
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