乾誠介という青年がアストルティアに来たのは、十年ほど前のことである。
倒壊するビルの下敷きになる――と、思った次の瞬間、見知らぬ森の中にいた。
初めこそ、見慣れない光景に驚いて森を歩いて回ったが、やがて彼は自分の『視界』に違和感を覚えた。 端的に言えば、『解像度が低い』と感じたのだ。森の木々の木目が妙に薄っぺらく見える。地面もざらざらとした質感は感じるが、砂の粒は皆一様に四角く、自然物のそれと同じように思えない。しばらく歩いて見つけた小川の色も、絵の具を塗りたくったような水色だった。
見るもののなにもかも、自分が二十年生きてきた世界と違うように見えた。まるで、出来の悪いポリゴンの世界に放り込まれたような――
決定的だったのは、『黒いウィンドウ』だった。
明らかに、地球の生き物ではない妙なもの――しかしアストルティアでは特に珍しくもない、スライムと乾が出会ったとき、黒いウィンドウがスライムと重なるように現れた。
乾にとっては、それは見慣れたものではあったが、同時に怖気の走るものでもあった――それは、現実の世界で見えてはいけない類のものだった。
そして、そのウィンドウに表示されている『メラ』というコマンドを選んだ途端、火の玉が自身の腕から発射され、スライムに命中した。黒焦げになったスライムは、あっさりと絶命した。ぶすぶすと、甘酸っぱいような匂いが鼻腔を刺激した。
ゲーム画面みたいだ――と思った次の瞬間には、吐いていた。乾という青年は、そのときまで自らの手で生物を殺めたことがなかったのである。
それ以来、乾は異様に生物に近づくのを嫌うようになった。魔物にしろヒトにしろ、生物であれば何でも、近づけば『黒いウィンドウ』が現れた。
三日歩き詰めてたどり着いた村でも、乾は住人の誰とも話さず、小屋の中に引きこもった。手が滑った拍子にヒトを殺してしまいそうで、誰と対峙するのも怖かったのだ。
数日後、村は野盗団に襲われて全滅した。
何しろその村はモリナラ大森林の奥も奥――カミハルムイ城も感知していない大田舎だ。そんな土地であれば、アズランやカミハルムイでは想像もつかないような凶悪な野盗団が根を張っているのだ。
最も、ただ貧しいだけの村であったなら、わざわざ何十人も率いて村を襲ったりはしなかっただろう。あまり大きな事件を起こしては、カミハルムイの兵士が気付かなかったとしても、モリナラ大森林で活動するレンジャーたちに勘づかれる危険性があるからだ。本来であれば、上納金を迫るとか、もっと細々と活動するのが現代の野盗の定石である。
村の不運は、その盗賊団の『オーナー』が、村人が保護したという青年を目ざとく発見したことにあった。
村人が死に絶えた後、青年が引きこもる小屋にある男が押しかけてきた。目をぎらつかせたその男は、うずくまる青年を一瞥して、一方的に喋り出した。
『イヌイってのはてめえか。聞いたぜ、この村で飼ってた馬をメラガイアー<極大焼失呪文>で吹き飛ばしたんだって?それもノータイム、無詠唱で。並みの魔法使いじゃこうはいかねえ』
『……』
『単刀直入にいこう。お前、うちで働け。近いうちにこの辺の野盗ども共々、カミハルムイの地下に潜りにいく予定でな、人手がいる。腕のいい魔法使いが欲しかったんだ。嫌ならふんじばってでも連れてくぜ』
『……好きにしろよ』
『お、素直。怒ったりしねえのな、仮にも十日世話になった村を潰した俺に』
『……別に世話になった覚えはない、小屋に押し込めて、飯のひとつも寄越さない連中だった。人でなしのことなど、どうでもいい……同じ人には思えないんだ、誰もが』
『――ホホッ……黒曜石みたいな目ェしてやがる。俺も、他の連中が自分とおんなじ人種だとは思えねえクチだ。ひょっとしたら、似た者同士かもしれねえな、俺たちは』
『……』
『俺はベリルだ。よろしく、イヌイ――早速で悪いが、頼みたいことがある』
『――なんだ』
『村の連中の死骸、うまいこと消してくれねえか?レンジャーどもに見つかったら敵わん』
乾は、ベリルの頼みを事もなげに果たした。
黒いウィンドウが現れるのは、何も生物に限ったことではないと乾が気付いたのは、そのときだ。
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