どこで悪手を打ったか。
昨夜、メルトアに似た女――影の女を、怒りのままに捕らえて、アジトに引き込んだこと。それが直接原因だ。まんまとあの女を懐に潜り込ませたせいで、直接命を脅かされただけでなく、島に陣取った軍勢への対応が後手後手になった。女との戦いで消耗しなければ、これほどの失態などさらしはしなかったはずだ。
――いや、それだけか?
あれほどあの影の女に激高したのは、あの女がメルトアに成りすましていたからだ。裏社会では、メルトアと呪術王が恋仲であったという話は周知であった――が、メルトア個人はそう有名な存在ではない。片田舎のケチな詐欺師、という評価だったはずで、顔まで広く知られてはいなかった。あの影の女は、そんなメルトアの顔や体格をわざわざ調べて、精巧に模倣したのか。明らかに昨日今日の調査ではない。入念な計画の上で、自分――呪術王を嵌めたのだ。
加えて、あの男――『銀行の魔法陣の数列』を埋め込んだ、あのサングラスの男。大して強くないくせに、殺しきれなかった鬱陶しい小バエ。
あの男の『数列』を奪いに行ったのは、同じ数列を持つ他の実験体が一人残らず、何者かによって摘出されていたせいだ。他で代替が利かなかったが故に、あの妙な正義感を持つ男を狙わざるを得なかった。そうでなくば、昨晩わざわざガタラなど訪れはしなかったのに…
そして、そのガタラで、自分はあの影と行き逢った。まるで、自分を待ち構えていたかのように。
「…あ」
じわ、と、呪術王の首筋に汗がにじんだ。
あの影の女と、サングラスの男を結ぶ線に気付いた途端、呪術王は何かに指をかけた感覚を覚えた。
線。しん・りゅうおうに掴まれたとき、不意に走った糸のような魔力。地に伏せる影と、馬鹿みたいに呆けた男を結ぶ何か。
「…は、ははははははははは…ち、ちくしょう……!」
思わず笑ってしまった。
負けた、と思った。自分の土俵だったはずのもので、言い訳の余地なく、負けた。笑ってしまうくらいの完全敗北だった。
こんな計画を仕組む者など、まともな人物ではない。
そもそも、成りすましなどという迂遠な真似、世界警察のような国際組織がやることとは思えない。その手口は『任務』というより、もっとどす黒い感情が絡んでいるように感じた。
呪術王は、その感情がなんなのか、心当たりがあった。
「――いたな、呪術王カワキっ!!!」
バアンッと、倉庫の扉を開くけたたましい音が響く。日光が倉庫に刺し、呪術王は思わず目を細めた。
視線の先には、二人の人物がいた。ぼろぼろのタキシードに血のにじむ包帯を巻いたウェディと、やけに黒いプクリポ。見覚えのない輩だ。『うみなりの鐘』の音を聞きつけて、この場所にたどり着いたのか。
「ハンナちゃんの仇だ!!その身体三枚におろして、ワニバーンのエサにしてやるっ!!!」
先ほどの怒声は、ウェディの男のものだったようだ。目を憤怒でらんらんと光らせて、ずんずんと呪術王に近づいていく。
呪術王は、その様を無感動に見ている。島の争乱に巻き込まれて、知り合いが死んだとか、そんなところだろう。第三者の死など、今さら知ったことではない。
そんなものに感情を割ける余裕がないほど、呪術王の心中は吹き荒れていた。
「…どけよ、お前」
呪術王は無表情で、ウェディの男を指差した。
ああ!!?とウェディは凄んだ。死線が背筋をよぎろうと、ウェディに引く気はなかった。呪術王の殺意に気おくれもせず前進する。
殺気を感じさせるほど、呪術王は視線に激憤を込めた。その怒りは、ウェディに向けたものではなかった。
「――これ以上、馬鹿にするな、同類」
・続き:
https://hiroba.dqx.jp/sc/diary/127254852654/view/7636349/