彼女が言う通り、俺が社会復帰を果たすためには、いつまでもグレーな界隈と関わっているわけにはいかない。
そしてそれは必然的に、キリンという怪人との縁を切ることも意味していた。これは俺が新たな生活のスタートを切るためには、絶対必要な宣誓だ。
恩知らずなことを言っている自覚はあったが、止められなかった。キリンが烈火の如く怒りだすのではないかと気が気でなかったが、
「――それでいい」
と、キリンは感情を感じさせない声で応じた。
「わたしは所詮、怪人だ。この二年間、思いがけないきっかけで、思いがけない生活を送ることになったが――所詮、ただの夢のようなものだ。ここいらで幕引きにして、お互いに忘れてしまうのが締まりがいい」
キリンは天井を見ながら、ぼうっとしてそのように言った。
竜の瞳孔から変じた紫の目がうるんだように見えたが、波が立ったのは一瞬のことで、すぐにかき消えてしまった。
キリンはふらりと立ち上がり、小屋の入り口に向かって歩き出した。
話はこれでおしまいだった。
「――っと、忘れるところだった」
不意にキリンが振り返り、未だ椅子に座る俺のもとに戻ってきた。
キリンが俺の左耳に手を伸ばし、耳穴の淵をそっと撫でた。すると、びちりっ、という嫌な音とともに、左耳に鋭い痛みが走った。
思わず呻いて左耳を押さえたが、特に血が出ている様子はない。油断した。一体何をした、この女!?
「『首輪』を解除したんだ。これで君は、本当に自由の身だ」
「『首輪』…って、これ結局なんだったんだよ」
「君の行動を縛るための、遠隔爆破呪文『テレイオラ』――というのは、勿論方便さ。本当の呪文の名は『コダマ』という。
これは言ってみれば、魔力次元で配線した糸電話だ。接続していれば世界の裏側からだろうと、接続先の音を拾うことができる。勿論、こちらから音声を送ることも可能だ。
ここ二年間、回線はずっと開きっぱなしだったから、君の行動はいつでも把握できた」
「……なるほど」
言われてみれば納得の仕掛けだった――こうでもしないと、俺を二十四時間監視するなんて不可能だろう。俺と店主の会話内容なんぞ、初めから全部筒抜けだったわけだ。
「そう。だから君がここ二年に買った春本の内訳もわかる」
「何聞いてんだてめえ!!!」
「リスト化して母上に送ってあげようか?」
「やめろや!!!」
からからとキリンが笑った。火花が弾けるような笑顔だった。
「じゃあ、これで」
そう言って、キリンは今度こそ玄関に手をかけ、小屋を出て行った。
あまりに自然体で出て行ったものだから、俺も何となく見送ってしまった。
一拍遅れて我に返り、俺も玄関を飛び出したが、既にキリンの姿はかき消えてしまった後だった。
陽光照らす農具置き場も、レンガ造りの高い壁も既になく、俺はレンドアの駅舎の中、階段脇の広間に飛び出していた。
振り返ると、背後にあったはずの扉も消えていた。そこまで把握してようやく、俺は妖精郷から放逐されたことを悟った。
負け惜しみも、別れの挨拶も言い損ねた俺は、ただレンドア駅の高い階段の前に立ちすくんだ。
――それから二年、俺は未だに、キリンと出会うことは叶っていない。
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