雑魚寝するために自宅に帰るついでに、細心の注意を払って実家を訪れ、遠目からその様子を眺めた。家事手伝いのアノーノさんが門前の掃除をしたり、庭のベンチで母が居眠りしたり、弟がペットのメタンピの世話をしたり、父が朝早くから仕事に出たり――いつも通りの生活を送る家族の姿があった。
どうしようもない郷愁に駆られ、実家に向けて駆け出したいことも何度もあったが、そのたび鉄の意志で引き返した。借金を抱えたままでは会わす顔もない、と、それらしい理由をつけて逃げ出すのが精一杯だった。
しかし、今は違う。我が双肩にのしかかっていた胡乱な借金は、その持ち主とともに消え去った。
もはや、俺が家族と面と向かって会うのを邪魔するものは存在しない。さあ、両手を広げて抱き合い、四年ぶりの感動の再会に涙しようではないか。
鈍色の遺跡が沈む湖面を横切り、実家の前に立つ。
レンガの家屋は相変わらず泰然として、高い崖を背に建っている。芝生の中庭に置かれたベンチの上に、いつぞや見た光景――オーガ族の母が座っていた。
肩口にかかる長い髪を背もたれに置き、肘掛けに頬杖をついて目を閉じていた。赤銅色の肌は、記憶にある母の姿より幾分薄くなっているように見えた。顔のしわも増えたように思う……やはり、四年も経てばヒトは老け込むのだ。
胸に去来する郷愁の念を無視し、平静を装って家に近づく――が、ほんの一、二歩歩いただけで、母が目を覚ました。玄関からも幾分離れているのにだ。
そのときの母の表情が忘れられそうにない――片目だけ開いて、こちらを一瞥し、怪訝な表情を浮かべた。と思った次の瞬間、その顔が驚愕で満面になった。
一瞬見ただけで、俺が誰なのか勘付いたらしい。こちらはサングラスをかけているのによくわかるもんだ。
そして、赤い顔面でもありありとわかる、みるみるうちに顔を真っ赤に――いや、もう赤色通り越して紫になってる、とにかくそれはもうわかりやすいくらいの怒気で顔面を染め上げて、ベンチからがばっと立ち上がった。
四年を経てなお、オーガ族の母は俺より身長が高い。そしてオーガ族だから、女性といえど人間族より屈強である。不惑の歳を過ぎてなお岩盤のような身体を怒らせて、ずんずんとこちらに進撃してくる様は圧迫感満載。その上、顔面は鬼色満面のド怒りときては、心胆震え上がらせるには十分すぎる。
あ、ダメだこりゃ、と思った瞬間、俺は踵を返していた。
レンドアで固めた硬い決意はどこへやら、俺はあの紫色のドラゴン相手に炸裂させた、脱兎の如き逃げ足を発動させた――よりにもよって自分の母親相手に、である。
恐らく世界一情けない男の背中に向かって、母は容赦なく怒号を浴びせた。
「どのツラ下げて戻ってきた、この馬鹿息子ぉ!!!!!」
***
「うおおお!!うおおおおおおお!!!」
気付くと俺は、自宅のある丁目まで逃げ帰り、岸壁に自分の額を打ち付けて、咆えていた。自分でも何をやっているのかよくわからなかった。
恥ずかしい。死ぬほど恥ずかしい。いっそ、メルトアに騙されていたことを教えられたときより恥ずかしい。あれだけ死線にあふれていた戦場から帰ってきて、怖いものなんか何もないと思ってたらこれだよ。ただの中年の女性がドラゴンなんぞより怖いわけねーだろ、何逃げてんだよ俺。どう転んでも母ちゃんが怖いって、誰にも自慢できる話じゃねえ。二年間心身ともに鍛え上げた結果がこれじゃあどうにもなんねーよ。アストルティア中を回って小金を稼いで、魔物やチンピラを倒して回ったのは一体何のためか――!!
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