「もう、三十年くらい前になるか……街中で出会った大人の中に、薄ら暗い仕事を受けたあたしを咎めて叱るやつがいてなあ。保護者面でぎゃあぎゃあわめいてて、あたしが撒いてもしつこく付いてきて、仕事してる最中でもずっと『もっとマシな仕事しろ』ってずーっと説教してんだ。そのうちめんどくさくなって、言わせるまんま一緒に旅するようになった。そのおっさん、わき目も振らず人助けしたがるクチなくせにくそ弱くてさ。そのうちあたしがお守りするようになっちまった」
酔いが回っているのか、母はふわふわとした口調で長話を始めた。
「父さん……ケチャのやつも最初の頃は、おっさんに触発されたんか、よくあたしに突っかかった。おっさん、あたしへの説教に飽きたら、学者気取って色々くっちゃべるからさ、いいとこの坊ちゃんには、大人びた人生の師匠みたく映ったんでしょ――これぞタリュー・マジックってね。あんたはあんな女泣かせの、しょうもない大人になるんじゃねーぞ」
「ハハ……女泣かせはいかんよなあ」
「ほんとだよ。自分に惚れてた女残しておっ死んじまうんだから……あ、言っとくけどあたしじゃないよ。もう一人いたんだ、あたしの旅仲間。妹みたく可愛がってたんだ。陶器みたいな目をしてたけど、あいつも不憫なやつでさあ……」
だんだんと呂律が回らなくなった母は、お猪口を握ったままカウンターに突っ伏して、くうくうといびきをかき始めた。酒に弱いのに酒豪ぶって飲むからだ。やれやれと俺は頭を掻いた。
母との会話を反芻し、強烈な戸惑いを胸に押し込んだ俺の横で、母は一言、寝言をついた。
「悪党でもいい……あんたは生き汚く生きるんじゃよ……」
ぷうぷうと寝息を吐く母に、俺は「へい」と返事した。
***
居酒屋の会計を済まし、母をおぶって実家に帰りついた頃には、時刻はてっぺんを回っていた。にも関わらず、庭先のランプは付きっぱなしだった。
玄関口には父がもたれかかっていた。仕事で何かあったのか、精魂尽き果てたという表情だったが、俺と母をにこやかに出迎えた。
「老いた母を背負う気分はどうだい?」
父はニヤニヤと俺に聞いた。俺はただ一言、
「腰が抜けそうだ」
とおどけて答えた。
――こうして、俺は家に帰った。
(その8・了 第5エピソード「精算/清算」完了)
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