その後、別区画にあるジャック自身の家で装備品を見繕い、いくらか銀行に預けた後、岳都ガタラの駅から港町レンドア行きの箱舟に飛び乗った。
自分の戦闘スタイルを見直す過程で、飛び道具などの装備品がぐっと増えたのだが、その全てを携行すると当然移動速度が遅くなる。近場の銀行で預けた後に長旅に専念して、現地で装備品を引き出すという行為が想像以上に便利なことを、ジャックはこの二年間で痛感した。遠征が多い傭兵団の仕事では必須の技術だ。この二年間で携わった業務を通じて、ジャックは色々なことを学び直していた。
やがて、大地の箱舟がゆっくりと動き出した。砂地の多いガタラ原野を眼下に眺めながら、ジャックはうつらうつらと夢見がちに、物思いにふけった。
借金を返すために奔走した日々。付かず離れずの距離でずっと見ていた借金取りの顔。それらに対する自分の思い。
「……二年も待たせちまった」
つぶやきは誰にも聞こえない。
***
アストルティア六大陸のひとつ、人間族の大地・レンダーシア。世界の中心に鎮座まします、神のチカラ宿す勇者の領土。
用心棒ジャックが初めて訪れた頃のレンダーシアは、大魔王マデサゴーラの侵攻、勇者姫アンルシアの謎の失踪と帰還を経て、長い混迷期をようやく乗り越えたところだった。大陸各地に残る戦火の跡と復興模様を片目に収めながら、ジャックは黙々と旅を続けた。
『冥王ネルゲル』が放った不気味な紫色の霧を定期連絡船で突っ切った後、グランゼドーラ王国へ入国。王国領を横切ってレビュール街道に入り、三門の関所を通過。さらにコニウェア平原を経由して、モンセロ温泉峡に入る。
透き通るような青空と、その下に広がる新緑の大地、巨大な遺跡を抱える街道、海岸線を望む砂の平原。それまで他の五大陸を主な活動範囲としていたジャックの目からすれば、どれも新鮮に映る豊かな光景であったが、ジャックはそれらに対する感動もそこそこに、ただ淡々と旅路を進んだ。何も今回、物見遊山をするためにレンダーシアに来たわけではないのだ。
モンセロ温泉峡は、硬い岩盤のそこかしこに天然の温泉が湧く火山地帯だった。硫黄の匂い漂うこの観光地も、ジャックにとっては通過点に過ぎない。
温泉峡からさらに南は、温泉の源泉たる大火山がそびえ立っている。その周辺は、灰褐色の岩石がそこら中に転がる雄大な山岳地帯。足場の悪さから、地元民でも滅多に立ち寄らない難所だった。
モンセロ温泉峡と呼ばれる地域の最南端には、レンダーシアに伝わる古神の遺物を祀った遺跡がある。その遺跡を訪れたジャックは、その入り口にひとりの人物が立っているのを見つけた。
身体にぴったりと吸い付くキャットスーツの上に、エルトナ式の簡易甲冑を着こんだ格好。いわゆる忍者装束である。顔面は目元のみ露出した覆面で覆われ、一目では性別が判然としない。背中から露出した半透明の羽から、辛うじてエルフとわかる。およそ温泉峡という土地柄には似つかわしくない人物だった。
そんな怪しいエルフが幽鬼のように立っていると、自分が何らかの怪談に巻き込まれたような錯覚を覚えるが、紛れもなく実在の人物である。黒ずくめの忍者がジャックに気付くと、クイッと目配せした。
ジャックは特に驚く様子もなく、こくんと頷いた。忍者が一声も漏らさず、スススと移動し始めると、ジャックもそれに続いた。行き先は遺跡の中……ではなく、その脇。巨大な石造りの建造物を素通りして、その奥――山岳の方向に向かった。
そこから、丸二日。ジャックと黒忍者はひたすらに険しい山脈を歩いた。
岩肌を時には登り、時には下り、山々の間を縫うように進んでいく。硬い岩盤は踏みつける足を無言で押し返し、冒険者の鋼の体力を遠慮なく奪っていく。
さらに厄介なのは、一寸先が見通せないほどの深い霧が山道を包み込んでいることだ。濃霧に惑わされ、ひとたび方向を見失えば、待っているのは崖か、岩肌の剣山か……霧と岩石のダブルトラップが、この山々に文明の腕(かいな)が入ることを拒んでいる。
そんな魔窟をいかなる手段によってか、黒い忍者はすいすいと進んでいった。崖にも剣山にも遭遇することなく、さらには一寸先も見えぬ霧も意に介さず、一直線に進んでいく。ジャックはこの無音の案内人の後を必死についていく。万が一にもはぐれれば、待っているのは死である。
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