アオマリモの冒険日誌

　やがて、顔を押さえたままキリンが伏せた頭を上げた。
　その指の間から、キリンの片目が見えた。ドラゴンの瞳孔から、ヒトらしい情緒が消えていた。
　それはまるで、餌にする獣を見る竜のようだった。

「あ――あぁ――はははは――いい、いいよ、願ってもない。他ならない君からの申し出だ。やろう」

　信じがたいことに、ヒトの形をした竜は、恍惚とした顔で決闘を引き受けた。
　ジャックはキリンの、ある種の動物くさい顔を初めて見た。ずっと肉体のない精霊のような、あるいは機械的な、生き物『らしくなさ』ばかり見ていたジャックからしたら、そのキリンの顔は衝撃的な変化だった。

　他方、ジャックの戦士としての勘は風雲急を告げていた。
　キリンの目を見たときから、全身が総毛立ち、骨が楽器のようにぎちぎちと軋んだ。
　ヒトを前にした反応ではない。ドラゴンの前に立ったスライムの如く、生存本能がフル回転している。それだけ、キリンの身体から発せられるプレッシャーがヒト離れしていた。
　オールドレンドア島の『紫色のドラゴン』とどちらが危険か、という問いがジャックの頭に浮かび、すぐさま却下される。馬鹿馬鹿しい疑問だ。そんな与太を考えている暇はない。あれと比較できる程度の危険人物ということだけ、今はわかっていればいい。

　ジャックが決闘を申し入れ、キリンが受けた。その時点で、決闘は始まっていた。
　もはや立会い人も、開始の号令も不要。決闘を行う双方が、既に決闘の名を借りた殺し合いの覚悟を済ませていた。

「悪いな、士獣。見届けてくれ。審判はしなくていいから」

　ジャックが忍者の少女に対して、簡単な詫びをした。
　事態も飲み込めていない士獣が、そのおざなりな言葉に抗議する間もなく、キリンが動いた。

　音もなく、するりとキリンの身体がスライドした。
　ジャックは躊躇なく剣を振り下ろした。キリンの頭蓋を狙った一撃は、キリンがその手首を掴んで捻ったことで不発に終わる。
　目にも止まらぬ速さで剣を叩き落とすと、キリンはジャックの上体にかぶりつき、横に飛んだ。崖の上で、である。
　「ギャッ……！」という少女の声と、「うおおっ……！」という青年の声が同時に響く。声を上げぬのは怪人のみ。

　両脚が蒼空を踏んでいる、というジャックの錯覚もつかの間のこと。
　キリンとジャックは抱き合ったまま、悪い冗談のように崖を真っ逆さまに落ちていった。

＊＊＊

「うおおぁああああああああああああああああああああああああああーーーーーーーーーっ！！！」

　絶叫、絶叫、絶叫。数百メートルの高度から、ほぼ垂直の崖に沿って自由落下する間、ジャックにできるのは、叫ぶことだけだった。
　ひゅごごごごごごうという今まで聞いたこともない風切り音が響き、恐怖が心を凍り付かせるより早く地面が迫りくる。頭の中すら真っ白になりかけ、かろうじて絞り出した言葉は、キリンへの悪態だけだった。

「ばっ、はっ、はっ、なっ、なっ、なに考えてんだてめええええええーーーーーー！！？」

　ジャックの精一杯の怒号も風切り音にかき消される。上半身をがっちりとホールドしたキリンの顔は、ジャックからは見えない。
　ジャックの想像を遥かに超えたキリンの暴挙に、ジャックの思考はパニックに陥った。まさか決闘を申し込まれた直後に、崖から飛び込み自殺するバカがこの世に存在するなんて、誰が想像できるか。百歩譲って、まさかキリンがそういうバカをするなんて、予想しろって言ってくる奴がいたら速攻張り倒してやる。こんな、こんなバカげた死に方するほど、俺悪いことやってないーーーー！！！

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