ひたすら混乱し、錯乱し、キリンの拘束を振りほどこうとして失敗を繰り返すジャックの耳には、落ちていく先から響く轟音は届かない。
本来そこは、樹齢何百年という巨木が立ち並ぶ森であったのだが――その半径数メートルのスペースが、突然爆発した。何の前触れもなく起こった、星が弾けるような大爆発は、巨木も草木も霧も魔物も、その他の生態系の全てを粉微塵にした。
焼け焦げた大地は、その周囲の土と混ぜ合わされ、攪拌されていった。ぐしゃぐしゃ、ぐしゃぐしゃと、神様が為したかのような大地創生が猛スピードで進んでいく。そのとてつもない暴挙が、他ならないキリンの呪文のチカラで引き起こされた。もしポポムあたりがその現場に居合わせたら、嫉妬と激高で泡を吹いて倒れたに違いない。
そうして、ジャックとキリンが上空十数メートルの位置に来たときには、その落下地点の周囲はきれいに整地されていた。
もみ合う二人が地面まであと十数メートルの高度に迫ったとき、二人の身体がぴたり、と止まった。
正確に言えば、止まったのはキリンの身体のみである。見えない縄で吊るされたかのように滞空したキリンは、それまで保持していたジャックの身体を手放した。
未だ落下の勢いが殺されていないジャックの身体だけが、キリンの手を離れて落ちていく。青ざめたジャックだったが、瞬時に身を翻して着地に備えた。
地面に対して可能な限り直立し、足裏、ふくらはぎ、太もも、尻、背中の順で地面に接していく。五点接地という、高所から安全に降りるための技術だ。崖から落ちたなら、本来は五点接地などする暇もなくミンチだが、冒険者としての強靭な体力で無理やり成功させた。内臓にじんじん響く痛みを堪えながら、ノータイムで戦闘体勢を整える。周囲の地面がなぜか滑らかな平地になっていることを詳しく考える暇などない。
ジャックから数メートル離れた位置に、キリンがすとっと着地した。遥か高い崖から身投げしたとも思えない、軽やかな身のこなし。落下のダメージが残るジャックとは異なり、なんの傷も負っていない。
最初と同じく、音もなく足を踏み出すと、数メートルあったはずの間合いが瞬時につぶれ、もうジャックの目の前にいた。息も整っていないジャックは、ノータイムで迫り来るキリンの攻勢におののいたが、気合いで無理やり身体を奮い立たせた。
キリンの右手がゆっくりと持ち上げられ、五指が開く。ごきごきと異様な指折り音が響く様は、まるで竜の爪を研ぐが如し。
寒気が背筋をなぞったジャックは、思わず左手で盾を構えた。それを待っていたかのように、キリンは腰を切って、開いた右手を背後に引き絞る。そして、槍を投げるかのように振り抜いた。
ぼっ、という轟音を響かせ、ジャックの盾に着弾する。音速にまで加速した鋼の爪は、木製の盾の表面を容易く引き裂き、五筋の大穴を開けた。ぼりぼりぼりと、聞いたこともない破断音が盾を貫いた。
着弾してなおその勢いは死なず、ジャックの身体を後方に吹き飛ばす。倒れこもうとする身体を気合で押しとどめ、どうにか踏ん張った。
「……ッ、平気で盾を素手でぶち抜くんじゃねえ!!」
使い物にならなくなったホワイトシールドを投げ捨て、キリンに悪態をぶつけた。冒険者といえど、対魔物用の武具を徒手空拳で破壊できるのはいくらなんでも意味が分からない。強壮を通り越して狂気の練度だ。呪文のチカラを使っているなら納得だが、むしろ使ってないと言われる方が怖い。
「惜しむような盾じゃないでしょう?錬金術による強化は、対人戦の役にはほとんど立たない。別にあれが、わたし用の秘密兵器ってわけじゃあないでしょ」
体勢を立て直したキリンは、ジャックを見ながらニタニタと笑った。まだ『借金取り』だった頃によく見せていた、あの底意地の悪い笑顔だ。
顔が変わろうと、あの度し難い笑みは変わってはいない。やはり『借金取りメルトア』と『暗殺者の王キリン』は、地続きの存在なのだ。本質は変わっていない。
違うのは、明らかに笑みの中に、見たこともない恍惚が混じっていることだ。
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