下半身の神経を強引に引っぺがされるような痛みと同時に、急激に血の気が引くのを感じる。先ほどの強引な五点接地に勝るとも劣らぬ内臓痛に、ジャックはうめき声すら封じられた。
その場でくの字に身体を折り曲げた途端、今度はキリンの張り手が飛んできた。すくい上げるような掌底を胸で受けたジャックは、あえなく後方にすっ飛ばされた。
股間を打たれた痛みが足を意気地なしにした結果、今度は受け身も取れなかった。背中を強かに打った衝撃で意識が飛びかけたが、胸を圧迫された鈍痛でせき込んだおかげで、逆に意識を繋ぎ止めた。ダメージを他部位のダメージで誤魔化す、凄絶な戦況である。ジャックの戦意がみるみるうちに目減りしていく。
「ああ、そうだよ。君の言う通りだ。何十年も無心で暗殺者をやってきて、ここまで心乱されたのは初めてだった。
自分の中に生まれた感情を認めたくなくて、使命も何もかもめちゃくちゃにした挙句、無様に逃げ出した。情けない大人だよ、わたしは」
地面に這いつくばるジャックを見下ろしながら、キリンは独白した。心底に溜まった淀みをごく端的に、一気に吐き出すようだった。あまりの言葉の苦さは、その硬い表情を大いに歪めた。
同時に、崖の上でジャックと再会したときに降って湧いた疑問も、とめどなく口から流れ出た。キリンからすれば、答えのわかり切った愚問だが、止められなかった。
「――それがどうした?わたしがいかに悪党だろうと、いかに情けない人格だろうと、君にはなんの関係もない。むしろ、わたしが下劣な品性であるほど、君は被害者として心置きなくわたしを憎めるはずだ。なんの躊躇いもなく殺しにかかったはずだ。こんな決闘とも言えないじゃれ合いに応じる義理は、君には欠片もない。
だというのに、なぜ君は正義の味方のように説教している?今さら、わたしが更生するなんて期待してはいないだろう?ヒトの人生を丸ごと救い出せるような『英雄』を目指すことは、君はもうやめたはずだ。それがなぜ、『悪人』のわたしに固執する?やる気もない怨念返しを口実にしてまで、わたしを追いかけてきたのは、なぜなんだ?」
「……それは」
その答えを、ジャックは持っていなかった。言葉を濁し、必死に思考を回す。全身くまなく痛いせいで、集中するのに苦労しながら、頭の端々にある思考の欠片を集めた。
集めたが、言語化できない。好きも嫌いも妬みも怖れも恨みも何もかも、キリンに対する感情はあまりに複雑怪奇としていて、どんなに言葉を尽くしても、出力するのに適した論理が構築できない。そもそも、ドルワームからレンダーシアに着くまでの旅路で、散々考えても答えが出なかったことなのだ。こんな土壇場でいきなり理解できるはずもない。
それでも、それらしい言葉を取り出し、吟味し、形にした。本当にそんな話なのか?と逡巡し、しかし抱え込むのも無理で、次の瞬間には吐き出していた。
「あんたが好きだったんだよ!!正義なんかどこ吹く風で、自分のやりたいことを貫き通すあんたが!!俺の家族との不仲も笑い飛ばすような、絵本の英雄なんか目じゃないほど強くて厳しいあんたがだ!!
そんなあんたが、何かに惑わされて世界を逃げ回ってるんだ。確かに呆れたよ、でもそれ以上に……どうにかしたいと思ったんだよ!!世話になったんだから、助けたいと思うのは当たり前だろ!!?」
言葉はとめどなく流れ出たが、そんな偽善のようなことを吐き出している途上、ジャックはずっと戸惑っていた。
好き、も、尊敬も、嘘ではない。確かにそういう感情はある。けど、本当にそんな程度のものか?助けたいと言いつつ、キリンに決闘を挑んだのはなぜだ?それで『どうにか』なんてなるわけない。全く筋が通ってない。
こんなにも融通が利かないのは、いったいなぜなんだ?一体、何を『譲りたくない』んだ?
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