第五話 業火の夢
闇の中で、セリアは目を覚ました。
そこは、夢の世界。
懐かしい声と、陽だまりの香りが漂う――
***
「セリア様、お行儀よくなさいませ」
柔らかな声が降り注ぐ。
小さなセリアは、不満そうに頬を膨らませた。
「だって、退屈なんだもの!」
卓上には、豪華な果物と、きらびやかな宝飾品。
窓からは、青く晴れた空と、白い石造りの街並みが見えた。
――裕福な暮らし。
――何不自由ない日々。
お世話係たちは、口々に語った。
三闘士ドルタムの栄光を。
その血を引く者としての誇りを。
「あなたは、選ばれたお方なのです」
「偉大なる王たちの血を、胸に生きなさい」
幼いセリアは、無邪気に笑った。
自分は特別な存在なのだと、疑いもせずに。
***
だが、その日は、突然訪れた。
好奇心に駆られ、禁じられた書庫に忍び込んだ、あの日。
埃にまみれた書物たち。
蔵の奥深くに封じられた、忌まわしい歴史。
そこに記されていたのは――
三国間の争い。
ドルワーム王国による侵略と虐殺。
踏みにじられた命。
流された血と、積み重ねられた屍の山。
「う……うそ、そんな……!」
震える指先でページをめくるたびに、
セリアの胸を黒い何かが蝕んでいった。
――私は、こんなにも穢れている。
あの日から、世界が違って見えた。
***
毎夜、悪夢にうなされた。
焼けた大地に泣き崩れる者たち。
憎しみに満ちた瞳が、セリアを睨みつける。
「返せ……!」
「お前のせいだ……!」
「地獄に堕ちろ……!」
炎に囲まれ、血に沈み、
悲鳴と怒号の渦に巻き込まれるたび、セリアは叫んだ
そして、息絶える寸前で、いつも目を覚ました。
***
忘れたかった。
自分を、何者かに変えたかった。
文を学び、武を極めた。
頭を下げる大人たち。
賞賛の嵐。
「英雄の再来だ」と、誰もが口にした。
だが、成長するほどに、目について仕方なかった。
貴族たちの傲慢。
役人たちの腐敗。
大臣たちの欺瞞。
そして――
玉座に座る、自分自身の、救いようのない愚かさ。
***
旅に出て、知った。
私は、何もわかっていなかったと。
安全な城の中で、
きれいごとだけを口にして、
ただ遠くから民を見下ろしていた。
――私は、誰一人、救えなかった。
燃え盛る村。
泣き叫ぶ子供たち。
崩れ落ちる家々。
セリアの目の前に、業火の光景が広がる。
「セリアァ……!」
「助けてよォ……!」
「お前のせいだァ!!」
耳をつんざく怨嗟の声。
全身を絡め取るような闇。
そして――
「そうだ……」
耳元に、冷たく乾いた声が這い寄る。
「お前は、汚れた盾だ」
ぞくり、と背筋を撫でるような囁き。
「役立たずのくせに…… 偽善の言葉だけ並べて…… 何一つ、救えなかった」
嘲るように、声は続く。
「さあ…… 英雄を気取るな。
地獄へ落ちろ、偽善者――」
セリアの心が、崩れ落ちる。
無数の手が、地獄の底へ引きずり込もうとする。
もう、終わりだ。
***
――そのときだった。
眩い光が、闇を裂いた。
業火の中に、二つの影が立つ。
一人は、光を纏った斧を掲げる青年。
もう一人は、巨大な槌を構えた大柄な男。
誰なのか、思い出せない。
でも、あたたかい。
胸の奥で、何かが震えた。
いつの間にか、
氷のように冷たかった手に、じんわりと温もりが戻っていた。
二人の男は、無言でセリアの左右に立った。
まるで、彼女を守るかのように。
もう、怨嗟の声は聞こえない。
炎も、消えていた。
焼け残った村の隅。
セリアは、小さな女の子を胸に抱いていた。
「ねえ、ママじゃないのに、どうして?」
小さな瞳が、不思議そうに見上げる。
セリアは、涙をこらえながら答えた。
「……人が、人を助ける。
それを――優しさって呼ぶのよ」
その瞬間。
セリアの視界に、まばゆい光が満ちた。
温かく、優しい光が――
彼女を、包み込んだ。