電流はプラスからマイナスへ流れている。
でも、電気の正体とも言える電子は、マイナスからプラスへ流れている。
電流を流れを決めた後、電子の流れ方がわかったからだそうな。
でも、変なの。
スライドパズルはピースをスライドさせて絵を完成させるパズルで、例えば3✕3マスなら、8マス分のピースがはまっていて、残りの1マス分は空白になっている。
空白にピースを動かしているとき、果たして動いているのはピースなのか、それとも空白なのかわからなくなる。
ピースとは逆の方向に動く空白。
電子と電流の関係に似ている。
将棋の棋士が駒を打つときの手つきをなめらかだと思う。真似をしようとしてもできず、ぎこちない動きになってしまう。
マジシャンがトランプを操るときの手つきにも、同じようななめらかさを感じる。
手袋をよく無くす。無くすたびに悲しい。
優柔不断なので、物を買うときもドレアするときも悩みに悩んでから決める。
悩んだ分、お気に入りになることが多い。
何かのことをずっと考えているとき、その対象に心を注いでいるのだと思う。注いだ分、手袋なら手袋の形に心に隙間ができる。
手袋を無くして悲しいのは、手袋の形をした隙間だけが心に残るから。
心を注ぐのは物を買うときだけではなくて、例えば今日は暑いからお客さんには冷たい麦茶を用意しておこう、と考えるときも同じで、日本語ではこれを、心配り、と言う。
多分、トランプを扱うときのマジシャンは、指の先まで心を配っている。
見えないものや、消えてしまうものに費やした時間、注いだ心は無駄になってしまうのか、というとそうではなくて、スライドパズルの空白のように、きっと代わりに何かが流れてきている。
例えば部活に打ち込んだなら大会の結果とか技術の向上とか、注いだに見合う電流のような何かが。
先日、ティアフェスというプレイヤーイベントがあって、そのスタッフをした。
準備は数ヶ月。時間を費やし、心を注いだ。
ティアフェスの場合、何が返ってくるのだろうと思っていたけれど、更新するたび新しくつぶやかれるTwitterの感想や、とてもひとつの記事では収まらない! といった勢いのある冒険日誌を見ていて、返ってくるのはこれだったんだなぁと思った。
流れてくる感想は、あまりにおびただしく、あまりにキラキラしていたから、ティアフェスに注いでできた隙間をあっという間に満たし、目から溢れる。
溢れたものは、多分これからまた、何らかの形でアストルティアに注がれていく。
そうやって空白と心はぐるぐる逆方向に回り続け、スライドパズルはその時その時色々な絵を描いていく。
その絵を見る術はないけれど。
あの日、描かれていたのがケーキだったらいいなと思う。
八本のキャンドルが灯り、少し苺を載せすぎた、甘くてふわふわのバースデーケーキだったらいいな、って。