※今回はいつもの二次創作に参加頂いているヒッサァさんとは一風異なるヒッサァさんのお話となっております。
「この鎧見りゃ分かんだろ!天下の魔王軍に属するこのオレ様から、ゴールドを取ろうってのか!?あぁ!!?」
鼻をくすぐる出汁の香りに誘われて上機嫌で引き戸をくぐった男は、不快な怒鳴り声を耳にして眉をひそめた。
「はぁ……やれやれ。まったく、よしなさいったら」むんずと首を引っ掴むと、男は先客をそのままひょいと店外へ放り投げる。
先客……いや、ゴールドを払わぬならば、客とは呼べまいが。
「何しやが……かっ……は……」
「おまえさん、ちょいとおいたが過ぎたねぇ」
威勢よく起き上がるも、間髪入れずその顔面にメラゾーマが直撃し、狼藉者はぶすぶすと煙をあげて膝から崩れ落ちた。
「やぁだごめんなさい、あんまりにもお馬鹿なもんだから、つい手が」
無用な手出しをしたことを、男は店主に詫びた。
「……構わんさ。スカッとしたさね」
頑固を絵に描いたような、深いシワの刻まれた面立。我を通すのは、大変だ。
特にここ、弱肉強食の魔界においては殊更である。
それ故、魔界で店を開いている、その事実こそが、雄弁に店主の力量を物語っている。
「どれだけ無銭飲食しようとしたのか知らないけれど、あの子の鎧を売れば、足りると思うわよ~。身内の恥を晒すようで情けないけれど、正真正銘、魔王軍の鎧。このヒッサァが保証するわ」
「どうでも、いいさね……で、注文は?」
言葉に偽りなく、回収しそこねた金子には、もはや欠片も興味がないのだろう。
その手は淡々と、ヒッサァの為の蕎麦を茹でる準備を始めている。
「そうねぇ……」
顎に人さし指をあて、お品書きに視線を巡らせる。
先ずは、ざるとするか、かけとするか。
今や寝覚月、残暑はあれど、着物を大胆に開けたヒッサァには涼しく感じる気候である。
よし、かけにしよう。
シンプルに葱だけというのもオツだが、そこまでヒッサァの感性は老いてはいない。
まだまだトッピングにときめく年頃である。
きつね、ワカメ、それとも山菜か、キノコ……いや待て、カウンターに鎮座するコロッケを割り混ぜるのもよい。
「月……ああ、そうねぇ、つきみでお願い」
ただ一つだけ、真新しい木札でかかる品。
今の時期だけの、スペシャリテであるのだろう。
「あいよ」
そうしてようやく、ヒッサァは席につく。
ボコボコと湯の湧き上がる音をに耳を傾けながら、彼の意識は、先回の満月の夜へと誘われていた。
今日も今日とて基地を抜け出し、蜻蛉玉に乗って遥かな岬の天辺へ。
ヒッサァ以外、誰も上がれぬそこは、月を眺めるにはもってこいの特等席だ。
ほうと吐き出した煙草の煙を月に重ねて楽しみ、腰に下げた瓢箪から酒をあおろうとしたその時、不意に、嫌な匂いがした。
「……あらやだ」
岩肌にぎゅうと押し当て、煙草の火を殺す。
僅かな灯り、気取られる距離ではなかろうが、用心にし過ぎという言葉はない。
静かに座禅を組み、意識を研ぎ澄ます。
……見つけた。
随分と歳を重ねた、オーガの術師だ。
こんな魔界の奥深くに何故、などと無駄な詮索はしない。
ヒッサァの思考はただ一つ。
(命あっての物種だもの……)
穏便にやり過ごせるかどうか、それだけである。
眼球に魔力を巡らせ、その姿を実際に捉えた時、ヒッサァの背筋にぞくりと悪寒が奔った。
慎重に慎重を期したはずが、よもや向こうにも気取られていようとは。
闇の根源を覗き込む時、逆もまた然りというが、まさに、である。
(……妙なやつ。さて、どうしたものか)
一方、賢者は心中で舌を打った。
岩陰に身を潜めたが、こちらの位置は魔族に把握されているだろう。
それはお互い様ではあるが、地の利は高所、魔族の側にある。
ならば試しに岬を破壊してみるかと、両手杖に魔力を込める。
(……!イオグランデ、いやまさか、イオマータ?地図でも描き変えるつもり!?)
身を乗り出し、メラゾーマを放てば間に合うか。
いや、諸共に飲み込まれる。
かくなるうえは……
「はいよ、月見お待ち」
タンッと小気味良い音とともに湯気立つ椀が給され、ヒッサァはあの夜の記憶から引き戻される。
ツンとするほどの鰹の香りを掻き分ければ、ワカメにとろろ、黒雲と白雲の上にぷっくりと浮かぶ満月の、なんと蠱惑的なことか。
~続く~