まずは月を割らずに喉越しを楽しむ。
自然薯はバルディスタ山岳地帯のものだろうか。
抜群のぬめりでするりと口内に飛び込むくせ、しかと舌に留まり、滋味が弾ける。
止まらず二口目、此度はワカメをふんだんに。
同じ海のもの同士、鰹出汁との相性は言うまでもない。
そうして程良く水位が下がったところで、いよいよ黄身の端を破り、コンフィチュールのようにねっとりとしたそれを蕎麦にまとわせる。
鰹出汁の酸味と黄身の甘み、重厚な二重奏に意識すら飛ばされてしまいそうだ。
まさしくあっという間、汁の一滴も残さず、一杯の蕎麦はヒッサァの胃袋へと消えた。
さて、ヒッサァが賢者との遭遇を無事切り抜けたのは、こうして蕎麦をすすっていることからも明らかである。
ジゴデイン。
あの夜、ヒッサァはイオマータに対する為、誰にも明かしていない切り札を放たんとしたがしかし、既で堪えた。
敵もまた聡明であることに賭けたのだ。
何もかも、命あっての物種である。
自分は正しく昼行灯と評され続けなければならない。さもなくば、今宵の賢者のような手合いと、絶え間なく命の駆け引きを重ねる羽目に陥ってしまう。
ここでジゴデインを放つということは、結局敗北を意味するのだ。
果たしてヒッサァは、賭けに勝利した。
あそこまで登るに徒歩ではあるまい、何かしら飛ぶ手段を持っているに違いない。
そう考え至り、賢者もまたイオマータを放つ寸前で踏み止まったのである。
足場を奪ってみたところで、敵の地理的優勢に変わりはないだろう。
加えて、賢者の得手は広範囲を巻き込むイオの系統で、ドルマも嗜むがいずれにせよ、遥か上空の敵の迎撃には不向きである。
(メラにバギ系も使いこなすとみた……それだけではないな、一瞬膨れ上がった魔力の気配は、よもや……)
そも、出来たかどうか怪しいところではあるが、口封じをしなかったことをいつか悔やむ時が来るやもしれない。
しかしそれを差し引いても、今この場で切り札を詳らかにするべきではない。
その点において2人は同じ考えに至り、戦端が開かれることはなく暗黙のうちに両者はその場を離れたのであった。
「ほぅ……染みるわぁ……」
その溜め息もまた、命拾いしたあの夜の吐息に似て。〆の蕎麦湯までしっかりと堪能し、御愛想を終えたヒッサァはカラカラと鳴く引き戸に急かされ外へ出る。
「ん、良い月ねぇ」
括り紐を手首に引っ掛け、今度こそ、月を肴に瓢箪の酒をあおる。
火炎酒の名に恥じぬ、喉を焼かれるような辛さがまた心地よい。
さぁて、次は何して時間を潰そうか。
からりころりと下駄を弾ませ、独り夜道を往くヒッサァなのであった。
~終~