◇◇◇Ver.8.1のネタバレを含みます◇◇◇
商人の立ち居振る舞いは、それまたすなわち商売道具、彼らにとっての武器と呼んで過言では無い。
エルフにありながらオーガに勝るとも劣らぬ長身に格式高い黒留袖をまとう女史の凛々しい姿は、例えこの艶やかな店内の様子がなくとも、このウミネコ屋が当代一の商家であると物語る。
普段なら活気に満ちる店内であるが、今日はしんと空気が冷えていた。
1人の来客、その身にまとう陰鬱な雰囲気が、嫌でもそうさせるのだ。
ラウンジチェアに深く腰掛けるも背もたれには身を委ねず、ややうつむき加減な男の瞳は、忘れられる筈もない過去へと向いている。
「今年もそんな季節なんだねぇ」
女商人アヤメは憂いを帯び伏し目がちに、机を挟み向かい座る男に化粧箱を差し出した。
「……お代は、注文通りにしか払わないぞ」
ハコナミの町で作られた和紙で厳かながらも鮮やかに彩られた細長い箱は、長辺が短辺の3つ分にあたる。
「あぁ、構わないさね。街道に出た妖獣を片付けてくれたと聞いた。おまけはその分とでも思っておくれ」裏表無く、アヤメはニコリと微笑む。
男は毎年同じやり取りにうんざりとばかりに溜め息をこぼした。
「……まだ、共に戦う気は無いかい?」
これまたお決まりのアヤメの問い掛けに、化粧箱に伸びかけていた手が止まった。
永きに渡る魔皇軍との戦いの中で、少なからず勇者の導きなる組織と関わりを持ち、男はアヤメの裏の顔を知るに至る。
「アンタが加わってくれたら、
随分と助かるんだけどねぇ……」
アヤメは母を、男は妻子を。
お互い魔皇軍に家族を奪われた身であるが、護る為に戦う彼らと、無くしたものの為に戦う自分との違い、そしてその齟齬が致命的な結末をもたらす危険性を、誰よりも男が一番に理解している。
故に、男はそのまま黙って化粧箱を手に取り、崩さぬようそっと懐にしまってウミネコ屋をあとにした。
箱の中身は、エルトナの伝統を受け継ぐ職人の手による、まさに工芸品のような上生菓子。
長月の9日、つまりは重陽の節句の、前夜。
菊の花の上に真綿をかぶせ、一晩かけて夜露と香りをしみ込ませたその綿で身や顔を拭えば、老いが去り、長寿を保てるという。
その慣習にあやかり、練切とこしあんで菊の花に露が被る様を模った『着せ綿』とよばれる品である。
「見て見てマーちゃん!これお菓子なんだって!!凄くない!?」
初めて訪れる異国の地。
まるで飾り物のように緻密で鮮やかに菓子をつくる文化は、故郷にはないものだ。
ここ、ウミネコ屋のショーウィンドウを前に目を輝かせるそんな妻の様子を。
着せ綿と合わせて給された茶の味をまだ理解出来る歳ではなく、それでも精一杯背伸びして苦味に耐える、我が子のしかめっ面を。
男は今でも、そんな在りし日の光景を、つぶさに覚えている。
「……」
心を苛む追憶は、重苦しい足音と獣臭に遮られた。
毒々しい紫の体表、四足獣の身体から生え出た筋骨隆々の上半身には、禍々しい戦斧を握った魔物の姿を男は捉える。
咆哮と共に振り下ろされる戦斧を、あえて斜め前に踏み出して躱し、石畳を割って地に突き立った戦斧の柄に跳び乗り駆け上がる。
太ましい首に左腕を引っ掛け、ぐるんと後頭部に組み付くと、拳大の黒い塊を妖獣の口へと押し込んだ。
静かに降り立った男の背後で爆発が起こり、首を失った巨躯が力なく倒れ込み、やがてその身は崩れて黒紫の霧となる。
一気に膨れ上がった霧が僅かに触れて指先を灼き、鋭い痛みが奔るも男は薄く笑みを浮かべていた。
男の往く道を塞ぐように現れる新たな妖獣。
魔皇に連なるであろうこの不可思議な魔物を一匹、また一匹と屠るたび、ほんの少しだけ、心が軽くなるような気がした。
妻と子、そして男の分も用意された『着せ綿』。
同じ痛みを知る者として、男には己の生命を尊んでもらいたい。
3つ目の『着せ綿』に込められたアヤメの想いは、今年も男に届くことはない。
~了~