第3章 その1
深い森の中だった。
なぜ自分がそんなところにいるのか、分からなかった。
気が付いたときには、すでにそこにいたのだ。
ふと、周りを見渡してみる。
「…………」
深く、暗い森だ。頭上を覆い尽くす木々はどれも巨大で背が高く、陽の光を遮っていて、辺りは薄暗い。足元には、むき出しの大きな根。不気味な植物も、そこらじゅうに生い茂っている。
「てか、そんなことよりも……」
かれは おもった!
――だれだっけ? だれ……なんだ? わからん、思い出せない。わからない、わからないよぉ!
「……じ、自分が、何者か、思い出せぇぇぇぇんッ!」
と。
ぎゃぁ! ぎゃぁ! ぎゃーぁ!
彼の叫びに呼応するかのように一斉に咆哮が上がった。
「ひぃッ!」
木々の遥か上の方からだ。何か鳥獣らしき鳴き声だとは思うが、いささか尋常ではない。
「うぅぅ、怖いよぉ、なんなんだよぅ、もぉ……」
このままジッとしていても仕方がないし、何よりも身の危険を察したのか、彼は取り敢えず、歩き始める。相変わらず頭上では、ぎゃぁぎゃぁと不気味な鳴き声が飛び交っていたが。
「よし、落ち着け。一端、落ち着こう。ありゃきっと、ちょっと個性的で野生的な太めのカラスさん達だ。そうだよ、なにも怖がることなんて、ないじゃないか」
と、独り言ちしながら、どうにか前に進む彼だった。声に出して言ってないと、不安と恐怖で押しつぶされそうらしい。
「いいじゃん森、素敵じゃん? ね、目に良いよ森林、快適じゃん? ほら、あれだよ、立ち込めてる白っぽいこの空気感ってのは、マイナスイオなんとかっていうヤツだろ? いいじゃん、いいじゃん、すげぇじゃん。なんつーの、こう……自然な感じで? まぢネイチャーって感じ? もう、ネイチャーをミクスチャーすりゃフューチャーもバッチリってなもんよ! なぁ? だろ、だろぉ? ふははははーっ!」
だが しかし!
そのほうこうには だれもいない!
「………………うぉぉぉぉぃ……、なんなんだよぅ、もぉ……こころぼぞいよぉぅ……」
ぎゃーぁ! ぎゃーぁ! ぎゃーぉぅ!
心なしか、頭上の鳥獣たちが追って来ているような……、しかも、ちょっと、てか、確実に近づいてきているような気が……。
「うん、いる。ひー、ふー……三匹いるね、あれは。絶対こっち、見てるよ、うん――、
A「ちょ、おまッ、先に行けよ。はやくついばめよッ」
B「ええー、なんでオレからなんだよ、見つけたのオマエだろ?」
C「まぢかよ、毒見役~ぅ? おいおい勘弁してくれよ~」
A・B・C「「「……じゃ、せ~の、で、行きますか……?」」」
――って話してるに違いないよぉぉぉ……ッ!」
ぎゃぎゃ! ぎゃぎゃー! ぎゃぎゃぎゃーぉ!
「うっわ! まぢかよッ!」
なんと、空中で旋回していた三体の影が、再び咆哮しつつ、こちらに急降下してくるではないか!
慌てて駈け出そうとするが……?
しかし にげられない!
彼は木の根に足を取られ、顔面から転んでしまった。
恐る恐る振り返り、迫りくる奴らの姿を、見る!
「おい……こりゃぁカラスなんて生易しいもんなんかじゃないぜ」
確かに、全身は黒だ。大きな翼と鋭い鉤爪。だが、その顔面は赤く猿のようで、さらには角を生やしていた。しかも、デカい。
「あれは、あれは…………、モンスターぢゃんッ!」
それまでお互いを牽制し合っていたような三体だったが、彼の叫びを合図に一斉に襲い掛かって来た。逃げる隙もない。音も立てず目の前いっぱいに黒一色が広がる!
「うあああ! 助けてぇえええッ!」
堪らずに悲鳴が上がる。咄嗟に両腕で顔面を防ぐ……、
――その時、彼の身体を風が吹き抜けた。
正確には、誰かが自分の横を通り過ぎた、だ。
そして、鈍い衝撃音と、ぎゃぁぉん! という不快な悲鳴。ばさばさばさばさッと幾つかの羽ばたきが聞こえた。
痛みはひとつも無かった。強張らせていた全身を解き、ぎゅっと閉ざしていたその目を、ゆっくりと開く。
彼は、見た――。
「なにをしているのです? こんなところにいては、いのちがいくつあっても足りませんよ?」
彼女が言った。
剣を構えた、短髪の……少女がそこにいたのだ。
一体のモンスターが、彼女の足元で悶え、残り二体がそれを取り囲んでいる。
「き……、きみは、……だれ……?」
戸惑いながらも、彼は訪ねた。
そして。
「名乗るほどではありません。ただ、人は皆、私のことを、――勇者、と呼びますが」
「ゆうしゃ……」
彼は、自分が何者であるか、思い出せないでいた。
ただ、その少女が言った“勇者”という言葉が、とても懐かしく思えた。
つづく。
※この物語はフィクションです。