難易度選択反対派が一方的に暴力を振るってるだけではないですか?
確かに、難易度選択賛成派にも反撃している人はいますが、そもそも、反対派が攻撃してこなければ争いにならないのでは?
難易度選択賛成派は、誰も、他人に「弱い」を強要しようとはしていません。
強いボスと戦いたい人が強いボスと戦う権利を否定していません。
彼らが強いボスと戦う機会を奪おうとはしていません。
他人のプレイスタイルに干渉せず、住み分け・共存を図ろうとしているからこその難易度選択です。
それに難易度選択反対派が納得しないのは、彼らの本音が強いボスと戦いたいということではないからです。
自分が強い敵と戦いたいのではなく、他人が弱い敵と戦うのが気に入らないのです。
住み分け・共存を図ろうとせず、他人のプレイスタイルに干渉しないと気が済まないようです。
正直、ドラクエを平和にするために、こういう意地の悪い人は居なくなって欲しいと思います。
人の温かみが感じられないのではオンラインでやる意味がありません。
そもそも、他人のプレイスタイルに干渉するよりも、もっと他に考えることがあるのではないでしょうか。
だって、「俺がこんなに苦労しているのに、楽する奴がいるのはケシカラン」ってことでしょう。
だったら、その人もボスを倒すための労力を苦行だと認識しているわけですよね。
その労力を旨みだと思っていたら「こんな楽しいことを知らずに進めるなんて可愛そうだ」と思うはずです。
強いボスを倒すことが楽しいことだと思っているなら、他人がその楽しさを自主放棄することを許容できないはずがありません。
「こんな美味しいステーキ肉を残すなんて勿体無い」とは思っても、「残すなんてケシカラン」と嫌いな人に強制的に食べさせようと誰がしますか?
ようするに「俺がこんな不味い物を我慢して食ってるのに、食わずに済ませる奴が居るなんてケシカラン」ということではないですか。
だったら、その不味い物を食べずに済むようにすれば良いのではないですか。
他人の足を引っ張る前に、どうすればつまらないことが減って面白いことが増えるのか、それを皆で考えて提案すれば良いのではないですか。
【補足】
分かりやすい例えを思いついたので書いてみます。
たとえば、多人数で蟹を食べに行ったとします。
うち1人だけ蟹が嫌いで食べない人がいました。
蟹って食べるのが大変ですよね。
皆が一所懸命蟹をほじっている所、人だけ悠々と別の物を食べています。
このとき、冗談で「何でお前だけ楽してんねん」と言うかもしれません。
しかし、本気でそう思うわけがありません。
普通は「こんな美味しい物が食べられないなんて可愛そう」と思いますよね。
「楽する奴はケシカラン」と本気で思うなら、その人は蟹が美味しいと思ってないのではないですか。