面白さが足りてないという批判はあって然るべきと思います。
しかし、勝手に脳内で作り上げた「俺設定」と違うという批判は的外れです。
「PやDの個人的な趣味」だと批判する提案もありますが、提案者の個人的趣味で気に入らないって批判もおかしいことに気づいて欲しいです。
「学園はドラクエの世界観を壊している!」
近代的な学校制度はルネサンス期(14世紀〜)に整備されたもので、それ以前にも学校と呼ばれるものはあったようです。
教会や修道院付属のGrammar Schoolは597年頃からあったようです。
よって、西洋中世(1500年頃まで)を舞台としたRPGに学園を設けても、その世界観に反しません。
学校があるファンタジー作品も多數見られます。
ドラクエⅩには、現実の西洋中世にない大陸間横断鉄道があります。
現実の歴史では、軌道上を走らせる車両は紀元前からあったようですが、牽引に動力機関を用いたり、鉄製の軌道を採用したのは産業革命(18世紀〜)以降です。
よって、現実の西洋中世には、空想上の鉄道すら存在しないでしょう。
このような現実の西洋中世にない設定を自由に追加しても世界観を破壊しないのであれば、学園を設けても世界観は破壊されません。
ドレスアップで使える衣装には当時の西洋中世にはなかった衣装も多々見られます。
和風の衣装もありますし、その和風の衣装も当時の日本にすらなかったような扇情的なデザインのものだったりします。
そんな状況なのに、今更、制服が現代風だと批判するのは見当違いでしょう。
ドラクエⅩの世界の言語が日本語と全く違う言語であることは各種書物(例:スキルマスターのセクハラクエスト)からも読み取れます。
ドラクエⅩの世界の言語がシステムによってプレイヤーには現代日本語に翻訳されて表示されています。
現代日本語に翻訳されているのだから、西洋中世には存在しないであろう単語があるのは当然です。
西洋中世に見合った単語のみに限定すれば、現代日本人には違和感ありまくりの文章になるばかりか、場合によっては翻訳不可能となるでしょう。
これまでもそうしたことを避けて現代日本語に翻訳されてきたのだから、特定の単語のみを標的にして文句を言うのは見当違いでしょう。
以前のバージョンアップでも、これまで登場していない人やマップ等が突然登場したことがあります。
これらはシステム的には突然現れたものですが、世界観的には以前から存在した(ことになっている)ものです。
ただ、以前はプレイヤーの目の届く範囲になかった(ことになっている)だけに過ぎません。
王国が成立するために何万人の人物が必要か考えれば、プレイヤーの目の届く範囲にはその一部の人しかいないことが分かります。
それら全てを表現するのは不可能ですが、表現されていないことをもって、その人物、建物、地図がこの世界に存在しないと考えるのは乱暴すぎます。
よって、これまで表現されていなかった学園が追加されても、世界観的には以前から存在した(ことになっている)のであり、何ら世界観を破壊しません。
コンピュータRPGとは次のようなものを言うのでしょう。
・広い世界を探索できる
・探索を単調にしないためにストーリーがある
・探索やストーリーの演出として戦闘がある
戦闘中心的考えで、戦闘のためにキャラを育成していると認識している人からすると、学園なるものは受け入れがたいものがあるのでしょう。
しかし、実装された学園はRPGの要件をちゃんと満たしています。
そもそも、そんなに世界観が大事なら、明らかに世界観と合わないシステムに文句を言わないのは何故でしょうか。
以前の日誌にも一部書きましたが、転職、耐性、サポート仲間の極端な弱体化、移動干渉、ツッコミ避け(を可能にするシステム)、敵のAI、敗北後の見逃し&再戦待ち等、ドラクエⅩのシステムはその世界観を徹底的に破壊しています。
それらに文句を言わずに、些細なことにギャーギャー騒ぐ理由が全く理解できません。
「学園をプレイする権利を放棄した人には報酬を寄越せ!」
これは身勝手すぎます。
コインボス、災厄、ピラミッド、王家の迷宮、不思議の魔塔、試練の門、邪神の宮殿等もやりたくない人は多數いるでしょう。
しかし、これらには権利放棄による報酬なんてありません。
自分がやりたくないものにだけ権利放棄による報酬を寄越せなんて、身勝手にも程があります。
全てに権利放棄による報酬を設けろと言うなら分かりますが、この提案をしている人は、自分がやっているものに対する権利放棄報酬には大反対するのでしょうね。
だって、自分が苦労して手に入れたものを他人が楽して手に入れるのが気に入らないだけでしょうから。