先ほどの日誌でも書いた通り世間では概ね酷評される映画版DQ5ですが、高く評価する人もいてそれは何故なのだろうかと考えました。
そして、次の日誌を読んでピンときました。
【ネタバレあり】酷い酷いと言われていたユアストーリー感想
https://hiroba.dqx.jp/sc/diary/429753663188/view/5895438/
>「ドラクエの映画のラストが酷い」と聞いたときに、俺が思い浮かべたいくつかのパターンの一つが「実は○○○でした」と言うオチでした。
>つまり、こんな素人にも簡単に想像できるネタを持ってきて、(何かのインタビューで監督が語っていましたが)さも画期的なことをやったかのように思っている制作陣のレベルの低さ。
>こんなのは使い古された表現でしかない。
まず、映画版DQ5のオチが全く評価に値しない理由は、この方の指摘する通り、プロの物書きでもない限り思いつかないような高度なものではなく、「素人にも簡単に想像できるネタ」だからです。
そもそも、ドラクエに限らず、ゲームやアニメの舞台がアレだってことは、隠されているわけでも何でもなく、誰でも知っている当然の事実です。
それを殊更に暴いて騒ぐ行為は、「使い古された表現」でなかったとしても、大人気ない野暮な行為であって、何ら画期的なものではありません。
逆に、この「使い古された表現」について全く馴染みがなく、「素人にも簡単に想像できるネタ」だと認識していなくて、完全に裏をかかれたと思う人にとっては、高く評価する点となるのでしょう。
>そもそも「そのネタやりたいんだったらドラクエを使うな!」と言うのがファンとしての強い思い。
>これはドラクエでなくても、もっと言えばゲームやアニメが原作でなくてもできる表現。
>このラストをやりたいためにドラクエを利用したのだとしたら、全ドラクエファンを愚弄している。
さらに、ドラクエの世界観を破壊すべき理由が全く成立していないことが「全ドラクエファンを愚弄している」と評される所以です。
なぜなら、「素人にも簡単に想像できるネタ」のためだけならば、ゲームの世界観を破壊してまで表現する理由がありません。
それでも、どうしても表現したいのであれば、それ専用のオリジナルのゲームを使って表現すれば済むことです。
世界観を破壊されたくないと思っている「全ドラクエファン」に不快な思いをさせてまでドラクエでやる必要はありません。
これも、「素人にも簡単に想像できるネタ」だと認識していない人からすれば、ドラクエの世界観を破壊してでもやる価値のある表現として、高く評価する点となるのでしょう。
>ウイルス「大人になれ」
>主人公「俺には○○○の世界が大事」
>こんな対立のストーリーだったらお金払って見に行かないよ。
この対立には何らメッセージ性はありません。
何故なら、双方の主義主張の内容の対立に決着はついていないからです。
対立があるという事実だけであれば、そんなことは製作者から言われずとも、大昔からわかっていることです。
だから、対立の事実を示すだけでは何も言っていないに等しく、その対立に対して一定の答えを出してこそメッセージ性が認められます。
例えば、一方が裏付けのある主張を展開して平和的に他方を論破したなら、そうしたメッセージ性があることになります。
だとしても、それ専用のオリジナルのゲームを使って表現すれば済むことなので、ドラクエを題材にすべき理由は全くありません。
しかし、この映画では、双方とも相手の主張に対して反発しているだけです。
最終的に、主人公が物理的に勝利しますが、最後まで裏付けのある主張は示されませんでした。
結果、この対立の図式には何のメッセージ性も認められません。
つまり、メッセージ性の点でもドラクエの世界観を破壊すべき理由が全く成立していません。
逆に、対立の事実を示したことや、一方的に主張している内容(裏付けの有無は問わない)にメッセージ性があると認める人にとっては、高く評価する点となるのでしょう。
>○ッ○ーの中から○○○の○が出てきて、「大人になれ」
>そんな○ィ○○ー○ン○、行く?
詳しく話すとネタバレになるので説明しにくいけれど、これを許容できるかどうかも評価の分かれ目になると思われます。
私なら、テキスト表現では許容できても、映像表現では許容できません。
その理由は以前の日誌にも書いた通りです。
最後に、ファンに不快な思いをさせてまで自己満足を押し通している映画製作者自身こそが「大人になれ」と言いたい。