30年前、まさか今でもDQをやっているなんて正直思わなかったよ
初期の頃はどちらかといえば両親の世代で、親がプレイしているところを見ていた。ただそれだけなのに面白かったんだ。
字がまともに書けるようになった頃、自分でもDQを始めてみたんだ。ただ汚い字だったんでしょっちゅう復活の呪文を間違えたっけ。
親は几帳面だったから日付と呪文を記した場所を明記した「復活ノート」なんてのを作っていたよ。
‘8×・4・27 ロンダルキア
ノートの最後に書かれた復活の呪文だった
Ⅲで復活の呪文がいらなくなったね、なんて画期的だったろう。
でもこの仕様はボクらに呪いの序曲を10年以上植えつけたよね。
デロデロデロデロデ~デン♪
便利な機能と引き換えに、冒険の書を失くすリスクを背負ったってことなのかな?
Ⅳでは初めてAI機能が出てきたよね、勇者以外は自分では動かせない。DQXのサポでふとそんなことを思い出した。みんなクリフト君のことザラキマンって揶揄するけど、スカラでがっちがちになったあのサイにザキで仕留めてくれたあの爽快感は中々よかったよ。
Ⅴで人生のぷち選択をせまられたよ、一度選んだらもう後には戻れない。
ゲームなんだけど真剣に選んだよ、子供だから純粋だったような気がする。大人になったら打算がどうしても先に来てしまってあの頃の純真さがなくなった。ボクは間違いなく妖精が見えないだろう。
Ⅵはちょうど思春期、自分探しの旅にでる主人公となんとなく不安定未来にぐるぐるする自分と重ねあわせる。この頃はDQの他に流行っていた他社のゲームとかで友達と盛り上がる、友達はDQよりもFF派が多かった。
それでもボクはひっそりとDQをやり続けた。
Ⅶは子供から大人へのちょうど複雑期、実はDQで唯一まともにやっていなかったのがⅦ。でもね、数年前に自分にメッセージを残したのはこのⅦだったんだよ。ファンクラブの特集で、Ⅶで職業をみんなで考えよう!に応募したよね、あの時イラスト入りでなんて書いたっけ?
職業漫才師、特技はボケやツッコミ!
なんて書いて応募して、それが広報に載って小さなメダルを獲得したよね。
あの応募が本当に採用されたのか、それともたまたまなのか、本当の所はわからないけれど、今みんな色んな場面でツッコミをしているところを見るとあの時応募したボクにすぐにでも教えてあげたいくらい。
Ⅷの時に実はMMOをしていたんだけど、Ⅷがでたらネトゲそっちのけで三ヶ月やりこんでいたんだ。MMO面白いって思ってたけど、やっぱり自分はまだDQが好きだったと再確認した。
Ⅸはちょうど子育て期、もうハードは無理だと思っていたけど、幸いDSだったから手軽にできた。ほそぼそとだけどまだDQと繋がれている。
この頃はもうネトゲもやめていた。
Xがでるってきいていてもたってもいられなくなる、DQがネトゲできたらやろうと決めていた。もうDQ世代と言われるいい年したおっさんおばさんが集まる世界かもしれないけれど、アストルティアではみんな十代のままなんだ。
また子供に戻って振り返る
ああ、あの時プレイしながら食べたお菓子の味まで思い出してきた。