21時16分
じーちゃんは旅立った 享年88歳
夫からのラインで 長い間介護お疲れ様でした と送られてきた
不思議と涙はでなかった
じーちゃんは私が帰ったそのあと親戚も来て面会できたようだ
親戚も帰った後ほどなくして亡くなった、見取ったのは夫だった
最後の最期で会いたい人たちに会えたじーちゃんは幸せだったと思いたい
事切れる寸前にじーちゃんはなにを思ったことだろう
知るすべはない
じーちゃんが亡くなった瞬間忙しくなる
まずじーちゃんがいた病室はすぐ明け渡さなければならない
一度家に帰った夫が再度車で病院へ向かいじーちゃんの私物を回収する
じーちゃんの死を悼む間もなく次の日は色々な手続きをしなくてはならない(お寺や葬儀の手配、親族連絡等)
私は二日後にじーちゃんに会いに行った
じーちゃんに水を差し額に触れる
冷たかったが皮膚はまだ柔らかさがあった
15年前に亡くなった義母と同じだ
じーちゃんの亡くなった日は義母の命日から三日しかかわらなかった
義母が迎えにきたんだなと思った
じーちゃんが余命宣告を受けた時よりも私の心は穏やかだ
たぶんじーちゃんは私がいつまでもべそべそ泣くもんだから心配になって心の整理をする時間をくれたんだと思う
最期まで手間をかけさせてしまった
葬儀は火葬場の空き次第に合わせて行う、今の世はどこの火葬場もフル稼働だ
今の葬儀は通夜 告別式 初七日を1日で終わらせるところが増えてきている
現代の世の中は死してなおも忙しい
じーちゃんの棺おけに花を沢山添えた、じーちゃんはまるで花畑に寝転ぶ勇者のようだ
生前好きだった菓子の他に紙コップに注いだビールも入れた
病院に運ばれる数時間前に 今日は何が食べたい? と聞いたらじーちゃんが ビールが飲みたいかな? と言っていたから
棺か閉じられる時にスタッフが最後に何か言葉をかけてあげてほしいと言ったが皆すぐに言葉が出てこない
なので私が一歩前にでて お疲れ様でした と声をかけた
皆はそれに続き各々じーちゃんに声をかけた
骨壷に入ったじーちゃんはずいぶんと小さくなった
骨壷の中にじーちゃんが使用していた入れ歯と眼鏡を一緒に入れた
これであっちの世界でも物が食べられるしよく見えるだろう
私の日常は変わらない
朝五時に起きて炊事洗濯お弁当つくり
もちろん朝のじーちゃんの挨拶も変わらない
おはようございます
変わったことはじーちゃんのいたベッドではなく祭壇の上に鎮座する骨壷になっただけだ
いい匂いだといわれた部屋は今はアロマではなく白檀の香りに包まれている
皆じーちゃんの介護についてはよくやっていると言うがじーちゃん自身がどう思っていたのかはわからない
私は自分に置き換えてじーちゃんの介護をしていたに過ぎないのだから
もし自分がこうなってしまったらこんな風にされたいかなと思うような介護をしただけだ
それだって足りない部分はたくさんあったと思う
でも異臭や汚物にまみれて放置なんて考えられない
最後まで人でいたい
一昔前は自宅で死ねれば幸せだという風潮があった
でも現在の自宅死は=孤独死のイメージが強い
病院で事切れたほうが体も綺麗なまま逝ける
死に際までは自分でもどうすることもできないから
人生が折り返し地点にもなると漠然とこのようなことを考えるようになった
私はまだじーちゃんのレベルの半分も満たない
私がじーちゃんのレベルに到達するまで後何十年もかかるだろう
でもいつかじーちゃんと同じフィールドに行くことになったらそのとき私はレベル1のペーペーから始まると思うから
また引率してくれたらいいなと思う
49日を迎えるまでのそれまでの出来事を綴りました
現在はもう介護もないので時間があるっちゃあるのですがどうにもDQまではやる気がおきずダラダラ過ごしております
何かのきっかけでインするかもしれないしこのままフワッと引退することも無きにしも非ずと言った感じです
ただ私のフレさん達はフレ暦が長い人が多く数年単位から長くて10年の人もいるのでこの日誌でもってお知らせした次第であります
まぁいつインするか(もしくは引退)わからないのでフレンドさん達には私の枠は消してもらって新たにフレを迎えて頂けたらと思います
うなというキャラにお付き合い頂きありがとうございました