うなのアストルティア日記110話(DQを語る③:前編)
今のDQスタイルがほぼここで完成されたと言っても過言ではないのがDQⅢ、ゲームで社会現象まで起こした。
まずここで一番画期的だったのがセーブが出来るようになったこと。
あの長くて難解な復活の呪文から我々は解放されたのである、王様に話しかけて 冒険の書に記録しますか? はい だけなのだから。
しかし、我々はすぐ気がつくことになる、これは「諸刃の剣」であることに・・・。
便利になった分、我々はそれ以上のリスクを課せられることになる、とにかくセーブデータがすぐ消える!ちょっとカセット落っことしただけでもすぐにデータが飛ぶ!
丁寧に扱ってもそれは突然に訪れる、
デロデロデロデロ デンデン♪
お気の毒ですが冒険の書1が消えてしまいました
不気味な曲と共に冒頭からこんなメッセージが流れる。
歴代DQユーザーのトラウマの一つである。
この唯一の対応策として冒険の書は3つ製作できるので、全部セーブデータで埋めておくということである。そうすれば一つくらい消えても予備データがあるので安心である。
しかし、それが出来なかった家庭の事情の方が多かったのではないだろうか?
当時のFCは高い!昭和の時代にDQⅢが確か8000円くらいしたので相当な価格である、なので家庭の大半は親兄弟で共有しあうのが当たり前であった。
親兄弟で1つずつ冒険の書を共有する、さてDQでもやるか。
デロデロデロデロ デンデン♪
お気の毒ですが冒険の書1が消えてしまいました
-----No-----!!!!!
ココロの中でエンディングを迎える。
自分のセーブデータが消える分には一人でヘコんでそれで終わりですむけど、これが親父や兄貴のだったら生きた心地はしない。ひたすら平謝りである。
同様に友達のカセットの貸し借りも危険である。簡単に友情にヒビが入る。
失われた冒険の書と壊れた友情は元には戻らないのである。
めんどくさい復活の呪文から解放された代償に、我々DQユーザーはこの後12~3年くらいはセーブデータが消えるという恐怖に苛まれることになる。
(SFCから少しはマシになったけどやっぱり消えた・・・)
(続く)