ドラクエ10ブロガーを呼んでのブロガー座談会が行われたり、プロデューサーやディレクターが地方にいってユーザと交流する「よーすぴ散歩」が実施されたりしている。基本的に良い取り組みだと思う。
ネットを見ると、「座談会だの散歩だの、何のためにやっているか意味がわからん」という声がけっこう聞こえてくる。
おそらく、「意味がわからん」というのは、額面通りに意味が不明ということではなくて、「そういうことが行われるのがほんのり不快だ」という気持ちの発露だと思う。
なぜほんのり不快になるのかというと、この二つは選ばれた人だけが参加できるものだからだ。なんであいつらだけ、という気持ちが根底にあり、それが疎外感とか、ルサンチマンとか、はっきりいえば嫉妬の気持ちがあって、しかし「私とってもジェラシーよ」と言うのはためらわれるから、「意味が不明」とか「Pが会社の金でご当地ラーメン食いに行く企画」みたいなねじれた表現になるのだろうと思う。
だから、意味を説明してあげても、なるほどそうかと腹に落ちることはないと思うのだけど、私がみるに、これらの企画の意図は明白です。
座談会のほうは、「ドラクエ10のネットコミュニティで活動してきた人たちを顕彰する」という意図はハッキリとあると思う。
なぜ顕彰したいのかといえば、彼らにその活動をやめてほしくないからだ。
ドラクエ10は、バージョン4以降、あきらかに「ユーザー数の維持」という方向に運営をシフトしている。
バージョン4直前に、すごい金を使って新規客獲得キャンペーンをやっていた。ミニドラマを制作し、ギネスに載るとか載らないとかいう長時間CMを打ち、PS4版をリリースし、ドラクエ11のPS4版に体験版を仕込み、「ドラクエ11を終えてドラクエロストの気持ちになった皆さんにドラクエ10をオススメ」というテレビCMを打ちまくった。
ここまで渾身の集客は、そうできない。おそらく、ここで最後のユーザー獲得をし、以後はそれを維持していく方向だ、というムーブでしょう。
ドラクエ10は、ブログコミュニティの育成が、びっくりするくらい成功している。こんなに個人ブログが機能しているネットゲームってちょっと見当たらない。
うまくしたもので、「ゲームをする」→「ブログをチェックして新しい遊びや攻略を知る」→「ゲーム内でそれを試してみる」→「またブログをチェックしてみる」という反復サイクルが成立している。これはユーザー維持の観点からしたら、ドラクエ10が獲得した素晴らしい武器だ。
が、この武器はもろさを内包している。「ブロガーの個人的意欲に、完全に依存している」という点だ。つまり、ブロガーが飽きたり、別のゲームにはまったり、嫌なことがあってやめたりしたらこのサイクルはすぐに壊れる。
「○○さんもやめたし、自分もやめどきかなあ」
となって、ユーザー層がもろもろと崩れていくビジョンは容易に想像可能だ。
そうなってほしくないので、何かの手当をしたい。
例えば、有名ブロガーを顕彰して、「いつも見てます。ありがとう。これからもよろしくお願いします」と言う機会をつくる。
呼ばれたブロガーは、これまでやってきたことがむくわれた気持ちになるだろうし、ゲームへの忠誠心をますます強くしてくれることを期待できる。
呼ばれてないブロガーは、「俺もあそこに行こう」というモチベーションを持ってくれるかもしれない。
それによって、現状成立しているネットコミュニティの維持力が高まる。
座談会は、「ユーザ意見を吸い上げるため」という建前になっていて、それももちろん重要な取り組みなのだが、はっきり言えば座談会という形式はアタリをやわらかくするための方便にすぎないと思う。「叙勲会」とかいってしまうとあまりにもあからさまで綾がないから別の言い方をしている。
たぶんまんまる堂のまるすけさんを呼ぶのは必須条件だったと思う。あの人アンチの攻撃にさらされて、今にもブログをやめそうだった。
前述のとおり、まんまる堂くらい視聴率が高くて影響力があるブログがやめるのは運営にとってマイナスしかない。
運営は……というか、ブログ界隈を熱心にチェックしているのは青山TDだと思うけれど、まんまる堂をなんかの形で援護してあげたいよねという感覚は青山さんにはあっただろうと想像する。
ネットの民はルサンチマンのはけ口を常に求めるから、アンチ活動によってまんまる堂がやめた日には、彼らはその成功体験をまた得ようとして、別のブロガーの瑕疵をみつけて攻撃しはじめそうだ。そういった連鎖を押さえる意図は多分あっただろう。
続き。
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