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知の祝祭の攻略者

アラタ

[アラタ]

キャラID
: YA810-835
種 族
: 人間
性 別
: 男
職 業
: 魔剣士
レベル
: 130

ライブカメラ画像

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アラタの冒険日誌

2021-10-27 02:31:06.0 2021-10-27 04:40:51.0テーマ:その他

葉っぱしずく問題で見落とされてそうなこと(下)

 前半がこちら。
 https://hiroba.dqx.jp/sc/diary/231529396884/view/6867587/

 プレイヤーキャラを一律的に弱くすると、どんないいことがあるかというと、そのぶん、これからレベリングでキャラを強くする際に、上乗せすることができる強さの量を、厚くすることができる。
 そして、これから追加することになる各種ボスキャラを、弱くすることができる。

 ようするに、プレイヤーキャラを強くしたら、そのぶん追加ボスも強くしなければならない。強くしたボスを後続の低中級者でも倒せるようにするには、プレイヤーキャラをもっと強くしなければならない。それをやっていると昔の少年ジャンプの漫画みたいに、強さがハイパーインフレを起こしてしまう。

 そのハイパーインフレは、長くMMOを運営していたら、どうしても避けられない事態なのだけれど、インフレの進行速度をどうにかして減速させる必要がある。なぜならそのインフレが限界まで行き着けばゲームの破綻が起こり、それはつまりサービス終了となるからだ。

 ドラゴンボールが、「これ以上は、《もっと強い》という表現ができません」というところに行き着いて終わらざるを得なかったのと同じ。
 ゲームも、「これ以上、プレイヤーキャラの強さを積むことはできないし、敵キャラの強さを積むことができない」という天井がある。

 その天井まで背が伸びてしまう日をどうにかして遅らせたい、ということを運営開発は考えている(ここは断定調で言い切れる)。

 その「どうにかして」の方法を常に探している。

「葉っぱしずくの硬直を重くする」というアイデアは、そういう探求のなかで出てきたものだろうと、推測するのです。
 だって、最新バトルコンテンツに挑むような層の強さを、大きく(しかも長期的に)下げることができるのですものね。
 弱くなったということは、天井が遠ざかったということなんだ。

 それに伴って、この次や、次の次や、そのまた次に追加するボスの強さをぐっと下げることができる。
 するとゲーム全体の寿命がのびる。中級者が追いつきやすくなることにもつながる。

 しかも、「葉っぱしずくゲーになりすぎて、ついにエンドコンテンツでヒーラー不要になるとこまでいっちゃった」問題の解決にも寄与する。ドラクエ10が抱え込んでいたすげぇ大きな問題が、一挙に二つ解決するわけなのです。

 ついでにいうと、かなり多くのボスバトルで、魔戦1ヒーラー1が最適解になっているという「バランスの悪さ」の改善になる。
 DPS2に加えて魔戦を1入れるというのはピーキーな構成であるべきで、これが他の構成と同等に安定しているのは本来おかしいと思う。
 この構成が安定してしまっている原因は葉っぱしずくにあるだろう。葉っぱとしずくが使いづらくなることで、魔戦の位置に旅芸やレンジャーや天地や占いが入ることは多くなるはずだ。天地にザオリク追加されたの、絶対にこの件と関係がありますよね。
「魔戦が強すぎる問題」を、魔戦にいっさい手を加えずに処置しているの、ひょっとしてめちゃめちゃスマートなんじゃないの、という感じもしています。

 結局のところ私が思うに、「いまあるボスバトルがいま戦いにくくなる」という理由で葉っぱしずくの性能低下を拙劣だというのは、微妙にピントを外していそうだ、ということです。

 たぶん、この問題のほんとうの芯は、「この施策のメリットはほんとうに運営開発が想定しているほど大きくて長期的なものだろうか」「この施策のデメリットはほんとうに運営開発が想定しているほど小さく短期的だろうか」「別の方法で同等以上のやり方はあったのでは」というところだよね。でもこれについてはデータと今後のプランを持っている運営開発側に敵うはずがない、というのが正直なところです。

 原則的に、「作り手は、ユーザーよりもマクロな視界を持っている」。私たちはなぜかこの原則を忘れがちだけど、それをときどき思い出す習慣があれば、もっといろんなところに手が届くんじゃないかなというお話。
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