昨夜、働き者のぽりたんは、夜の12時過ぎに帰宅。
晩ごはんとお洗濯のあと、お仕事だけで1日終わるのが惜しくて、深夜1時頃に「担々亭」へ。
「ころもぁ~」が流行ってたり、てっち~のチャットがパッド入力だと知ったり(なのにわざわざ痔とか入れてたの)、あつのんが絵を褒めてくれたり、犬の話、カップヌードルの話、プーさんの話、お蕎麦を食べるシンデレラの話。
ひさびさに、雑イベ欲が満たされて楽しかった~。
(↓グレかとおもったらてっち~。まぎらしいわ!)
一夜明けて、頭に残ってるのは
「地球がどうかなったとき、デジタルデータはもろい」って話題です。
細かい話の流れ忘れちゃったけど。
あつのんが、「100年後には地球もどうなってるかわからない」とか言って。
ツバキちゃんが、「ローマ遺跡は残るけど、デジタルデータは残らない」みたいなそんな話。
深夜ぽい。
ドラクエで言うと、こつこつレベ上げしたキャラも、撮りためた写真も、課金して揃えたドレアも、こうして書きためた広場日誌も、ツバキちゃんがこだわったハウジングも、地球がどうなるまでもなく100年後には風化しているという事実。
こういうデータって、本人がいないと意味がないものが多いからね。
でも、人間が時間かけて真剣にやったことが無に帰するって思うと切ない。
その点、戦争があっても、自然災害があってもずっと残ってる、ピラミッドとか、パルテノン神殿とか、アナログコンテンツつよつよですよ。
何千年を経ても残ってるっていうのは、「その時代に生きた人」の息吹を感じられることで、それってめっちゃロマンでしょ。
絵だって、ぽりたんiPad(描く環境)で描いて、ツイッター(発表する場)に投稿してるからね。
これが、描く環境か、発表する場か、どっちかがアナログなら残りやすいんだけど、どっちもデジタルだから。
ぽりたんが明日事故で死んじゃったとして、誰もぽりたんのPCのパスワードを知らないし(むしろ見ないでPC捨ててほしいし!)、がんばって描いたたくさんの絵はそれでおしまい。
500年前に描かれた「モナリザ」を、今でもたくさんの人が見て何かを感じてるのとの差たるや。
デジタルデータ、弱くて儚いです。
いっぽうで、儚いものが無価値ということもないわけです。
残るものにロマンを感じつつ、消えゆく瞬間を尊く感じるのが人間。
人って、得ることより失うことへの感受性が高いんですよ。
つまり、「失われる前に守りたい」、「消えるからこそ尊い」って感じるように設計されてるんですね。
たぶん、人の命が有限なことが、こういう感情の土台になってる。
「残らないこと」を儚まず、瞬間を噛みしめてやっていきたいものだなーなんて思いつつ、3時半頃に閉店した昨夜の担々亭でした。
くしくも桜の季節。
永遠ではないものの強さ。
花は散って、存在をより深く刻む。