実は先週の日曜日にドラクエの映画を観てきました。
色々思う事があって感想を書きたい気持ちもあったのですが、ネタバレになっても嫌だし、多くの人の目に映る場所には何も書いてこなかったのですが、やっぱり語りたくて仕方ないので極力ネタバレを避けつつ、ここに感想を残します。
まず映画全体を通した感想としては「あぁ、なるほどね。こういうお話か」という感じです。別に悪い印象は受けなかったけど、物議を醸しているラストシーンはあのラストである必要性自体は余り感じませんでした。
普通に親子でラスボス倒してハッピーエンド、画面がフェードアウトしていってテレビゲームを遊んでいる人の画面になってそこで大人の男が「あぁ、やっぱり大人になってもドラクエは楽しいな」っていう感じでも良かったと思う。
時間の都合上、ストーリーが省略されたり改変されたりするのは仕方ないと思っていたし、ゲマの扱いが優遇されすぎていたけど、あいつはリメイクを重ねていくたびに役割が増えるからそれもまた許そう。
でも、俺がどうしてもこの映画で許せないところが2つだけある。
1つ目はヘンリー。
言葉遣いが違う。一人称が私とかわらわとか妙に貴族っぽい。いや、貴族なんだけど俺の知ってるヘンリーは貴族の殻を捨てた気さくな兄貴分だ。一人称は俺だし、主人公と10年も苦楽を共にした親友なのに妙にお互い他人行儀で気持ち悪かった。
主人公にとってヘンリーは親よりも長い時間一緒に過ごしてきた人だよ。文字が読めない主人公に文字を教えたのも多分ヘンリーだよ。どんな時もお互いを励ましあって生きる事を諦めなかった二人だよ。それが映画では全く感じられなかった。
2つ目は主人公の子供について。
これは盛大なネタバレになってしまうので申し訳ないが、子供が双子じゃありません。男が一人産まれるだけ。これが絶対的に許せない。
ドラクエ5を原作とするならここだけは絶対に外しちゃいけないところ。あの子たちは二人で一人なんだよ。天空の剣を抜ける勇者は確かに男の子のほうだけど、女の子と一緒に産まれて8年、親がいない環境でお互いを支えあって生きてきた大事な大事な存在だよ。一人と二人では8年の重みが違ってくるんだよ。ストロスの杖で石化を解くシーンは娘がやらないといけないんだよ。ここが本当に残念。
1つ目も2つ目も目には見えない心の繋がりを描くのに大事な要素だったはずだ。確かにどちらもストーリーの進行には影響がない部分ではある。でも、多くのユーザーが絶対に守りたかった部分はこういうところだったと思うんだ。
あとはもっと仲間モンスターがいっぱいいたら良かったのになー。スライムナイトとかゴーレムとかいても良かったでしょ。ゲマに戦いを挑んで「魔物のくせに人間の味方をするとはいけ好かないですね~」とか言われて倒されちゃっても良かったでしょ。ピエールやゴレムスが子供のお守りをしててもいいじゃない。
小説版見てみろよ?仲間モンスターがどんどん死んでいくんだよ。主人公とか子供を守る為に命張るんだぜ?涙腺崩壊するから。でもあれも主人公と仲間モンスターの心を繋ぐエピソードとしてとても良いものだったよ。
全編通して俺は「心」に語りかけるシーンが少なかったなと思う。納得できる部分も多いし、そういうものだと思わせるシーンもあったんだけど。だから俺が不満に思うところは個人的願望なのかなって感じだ。
キラパンは可愛かったしビアンカも可愛かったよ。
あと気づいた人いるかな?光の教団関係者でジャミ、ゴンズ、ゲマ以外にしっかりラマダもいたんですよ。イブールはいなかったけど。
あー言いたいこと言えてスッキリした。しかし、あのゲーム、俺もやってみたいなぁ・・・