さて気がつけばデスマスも現状のレベル上限が見えてきたので、次のことを考えなくてはならなくなってきた訳だが、色々思う所の多い職であった。
ア「で、あの死霊って結局何なんですか」
リ「何だろう、要するに霊体版の外付けサポートなかま?」
これは独自解釈なんだが、この世界(広義におけるドラクエ世界)においては往年の旧作より死の概念というものが特殊で。そりゃ2の時代から何となく教会で蘇生することになっていたり、その後も蘇生魔法がガッチリ存在している世界だったがゆえに当然なんだが。だからこそストーリー上でなんとなく『蘇生が間に合う状態の死』『蘇生すら及ばない死』との線引きのようなものがある程度存在はしていたと思われる。
しかしそれがちゃんと描かれて来たかというと結構適当もとい曖昧なまんまで(あえて言及しなかった可能性もあるが)。だからこそ過去作9あたりではそのへんの解釈がぼちぼち出始めていたけれど、その割に間に合う死と間に合わない死の明確な基準がイベントによってまちまちだったりと混乱もあったりした。しかしながら今作ではその概念に一定のルールというか、明確な基準がちゃんと設けられているような印象を受けている。
つまり少なくともこの世界においては魂という概念を実在するものとして明確化していて(故の生き返し等)、少なくとも人あるいは人だけに限らず生命は『死んだとしても必ずしもそれで終わりではない』という法則の元で存続していることは確かなのではないか。(つまり某王子の例もあるように場合によってはおちおち安心して死んでもいられない世界でもあるのかも知れない)
ちなみにこの先はデスマスまわりの職業イベや設定の考察が入るので未見の方は読み飛ばし推奨だが、おことわりを入れつつ続けてしまうぞ。
デスマス職業イベントで明確にその存在が言及された霊(魂)の世界、霊界=いわば冥府のようなものだとすると、そこに意識して止まっている状態の霊、死して『次』の存在に敢えて移行せず現状の魂のまま存続することを意図的に選んだ魂とそれを現生に繋ぐいわば『門』のような存在がデスマスターである。(と、自分は解釈している)
(逆に生前の未練の側にこそ執着しそれ以外の道はもはや選べない存在=踊り子イベで言及されていた怨霊となるのではないだろうか)
で、デスマスの喚んでる死霊、彼らは基本的に姿形は現状既存のモンスターの姿をしているだけで、中身は毎回違うとか複数の霊体の集合体なんじゃないだろうか。ただ消えゆくには現生への愛着が強すぎる霊。若しくは残した愛するものたちの力になりたい霊。或いは本編中の話に少し出て来た『自分のことを思い出すものがまだ現生の世界に存在している限り、霊魂はあり続ける』のであれば、そんな彼らが霊のまま踏み止まっている世界がここではない場所に確かに存在していて、冥食の儀(あれ正直相当なタブーに触れてる気がする)を経て半分死界に片足を突っ込んだデスマスの生き身の体を介して現生の世界に力を貸しに来ている、そんな解釈をしている。
だからこそこれは扱う術者に明確な倫理観めいたものが同時に求められる職であるよなあと。まあ要するにそのまんま文字通りの意味での死霊術師であるわけだから、本来敵にしか許されないような性質を秘めているのは最初っから言わずもがな。ただ技術そのものには善悪はないので、それをなんとかプレイヤーサイドに落とし込んだ一つの形がデスマスターという概念なのだろう。
そして重要なのは所謂旧態然とした死霊術師的な道に染まったものも確かに存在し、その凶行に対抗でき得るのも同等の力を扱うデスマスターたちであったという一連の職業シナリオがそれを物語っている点。要は力の使いようでありそれはどんな職業、どんな立場であっても共通するものなのだ。
そう考えると、デスマスターの観る世界はある意味死の先の段階が存在するのだということを描いたものであり、同時にそこは死せるものたちの生者への信頼と善意に支えられたやさしい世界でもあったのかもしれない。
リ「多分霊界にもルイーダの酒場みたいなもんがあって、登録制なんだよ」
ア「ああ、そう考えるとわかりやすい…のかな?」
リ「オレ達だって酒場登録してて、見ず知らずの人に使ってもらえると嬉しいだろ」
ア「確かに使ってくれてありがとうって気になるかな」
リ「だから常に感謝を忘れないことだろうな。使わせてもらうもの側のせめてもの礼儀として」
ア「そうだね」
ベ「でもお前その割にサクリファイスで死霊爆散させてんじゃねえか」
リ「まあそれはそれ」
個人的にはサクリファイスは気分的に極力使いたくないのと、まほうのせいすいはどうしても無駄にストックしてしまう。そんな矜持を持っているのである。