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ぬくぬくどり大戦

リクオ

[リクオ]

キャラID
: LX823-176
種 族
: 人間
性 別
: 男
職 業
: 盗賊
レベル
: 133

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リクオの冒険日誌

2021-03-19 21:29:23.0 2021-03-22 10:55:59.0テーマ:シナリオ・クエスト攻略

求めていた力 〜ver5.1感想&考察


魔界では基本、弱いものは生きていけないとされる世界である。弱いものが生きていくには強くなるか、強いものに従いその庇護を受けるかあるいはさらに弱いものを見つけるか。強さの解釈もシンプルで、魔界に存在するそれぞれの国が各々バルディスタは武力、ゼクレスは魔法技術(あるいは積み重ねた歴史および伝統)、そして新興国ファラザードは交易とそれによって生まれうる富と三者三様の力の概念をわかりやすく表している。それら国々が互いに相応の問題を抱えながらも危うい均衡を保っているというのが魔界の現状であった。それが前節の大魔王選定の儀の結末を機に崩れ、魔界についに戦乱の時代が訪れたというのがver5.1のあらましとなる。

ここで印象的なのは主人公の立場である。前節5.0の選定の儀において主人公の前に現れた『魔障を操る能力』を持った謎の少女、イルーシャ。5.1ではまず彼女とともに各地に噴出する魔瘴の問題を解決するために奔走することになるのだが、立場上ある程度自由に魔界を旅出来る状態にはなっていても、あくまで主人公のできることは非常に限られている。近しい未来に魔界に訪れるとされる魔障の氾濫〜大魔瘴期という危機への切り札たりうる力を持った少女を巡り各国の思惑が交錯するが、その中にあって主人公は魔仙卿の導きと、魔界の皆を助けたいと願う少女の手助けをする形で大魔王選定の儀の後の混乱冷めやらぬ魔界の地を廻るのだ。


その旅の中で主人公は魔界の現状とその歴史、かつて様々な国家が生まれては滅んできたという具体的な例を身を以て目の当たりにしていくことになる。主人公とも因縁浅からぬさる国は不用意に魔瘴の力を利用としようとしたために自滅し、またある国は堅実に技術と知識とを積み重ね安定した国家を形作ることに成功しながらも他国の理不尽な謀略によって無残にも滅ぼされていた。そういった光景を目の当たりにする中で、彼らなりにたどり着きかけた叡智とも言えるものを見出しかけながらも、それを後代に残すことができなかったという事実を察することができる。価値を見いだすことができなかった、あるいは何も知らないものによってその文明がこれまで積み重ねた歴史や貴重な知識が散逸するのはどこの世界でも同じなのだが、魔界においてはことそれが極端な方向に行くといっていい。魔族の寿命は人間の十倍ほどらしいという設定もそうだが、なまじ長い寿命故に後の世代に続く具体的な構造を考えることが難しいのか。基本一世代、或いは一国で完結しがちだからこその弊害なのかもしれない。

各国の魔王たちも皆、自分ができる限りのことをしようとしているのは理解はできる。だが、それが肝心なところに届かない。そんなもどかしい思いを抱きながらも戦火は魔界に広がっていく。そんな中で印象に残るのは魔界に生きる様々な『普通の』人々との接点である。町の住民ひとりひとりの声に耳を傾け、彼らの生活や生き様を時に依頼をこなす形でその在りように触れていくうちに、魔界の中であっても人々はしたたかに生きていることを主人公は知る。そしてそこに生きる彼らの悩みや望み、何気ない言葉の端々に彼らもまたアストルティアの人々同じような価値観、共通した概念を持っていることを見いだすことができるのだ。強い能力も、特別な力もなにもなくとも日々を懸命に力を合わせて生きる人々の営み。その中に宿るその叡智はどれだけ離れた世界でも、どれほど遠い時代であっても根本は変わらないということ。それをこれまであらゆる世界を身をもって旅し自らの目で見てきたからこそ、主人公は戦乱の渦に飲み込まれて行く魔界にとどまる理由があるのだ。


このドラクエ10の世界においてはあくまで最初から主人公は勇者ではなかった。それは非常に重要なことだったのではないかとつくづく思うのだ。主人公は、人を救う。それが勇者であれ異界の住民であれ魔族の王であれ、遠く離れた過去や未来の人々でさえその手で、その身を持って命がけで手を差し伸べ助けてきたことをプレイヤーは知っている。あるいは自らの力及ばない時であってもできる限りのことをし、どれほど過酷な結末であっても最期まで寄り添い見届けてきたのだ。だからこそ行き着く先に立ち現れたものがこの道だったろうかと、ドラクエという世界においては非常に感慨深いと同時に一種の皮肉めいたものも感じた。勇者にはできないことを、主人公にしかできないことをするために。その先にあるものは魔峰の頂でかれが見た画そのものであったのだろうか。

私見ながら本章の物語を進めていく中で、時に痛ましい展開のはしばしでver2のラスカ少年のことを何度も思い出したものである。英雄は全てを救う。本節佳境、様々なものが失われて行く戦火の中でその言葉はずっと心に焼き付いていた。

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