本作においてずっと待っているんだけど3大来ない案件といえば死霊のおめかし要素の導入と一喝君の必殺自体のキャンセル、パニガルムボス戦にも防衛等のレーダー画面の導入をなどがあるのですが、ただ口開けて待ってる時点でその程度の意欲というのを否定もできないそんな近況ですいかがお過ごしですか皆様。
ところで(ver5をご存知の方前提の話題であるが)魔界の週課ことバケンズのお題は個人的に存在自体が大好きなコンテンツです。その内容もまた毎回シチュエーション的にも立場的にも愉快かつ不条理なものが多くて何とも言えない気分になります。まずアストルティア防衛軍がかなりの頻度で入っている時点で複合的な意味で面白過ぎるのですが最近は大富豪とかバトエンとかまで追加されてお前ら自分とこの大魔王に一体なにを求めてんだと執拗かつ延々と問い詰めたくなるお題群がたまらないのですね。
しかも一応これ、『大魔王の自叙伝を書きたいからお前なんか面白いことをやってこい(※意訳)』という大目的が一応あるわけでして。この毎週繰り広げられるメチャクチャ具合と基本的に全部仕組んでるよというマッチポンプ感が非常に某ボカン臭というか一種の番組感が強く、さぞ愉快な伝記が書かれてるんだろーなと当の自叙伝の完成を首を長くして待ってるわけですが一向に出ないという。いやバケンズ絶対これ完成させる気ないよなというのは明らかに分かるんですが多分#大魔王城とかいうアカウントで毎回適当に今週の大魔王って感じで画像流して終わってんだろうなーとか想像。
で、何が言いたいかというとじゃあ自分で書けばいいじゃない的な事案で、(出ないなら)お前が出すんだよォ!?と薄い本界のマメミム星から電波がきたので今後不定期に書いていこうかと思い立った次第。幻のままの大魔王自叙伝を俺が書いてやるのだ。
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第1章:アップル
防衛はいいぞ。もとい防衛は本作で必要なものへの学びが全て詰まっているといってもいい良コンテンツなのだがそこの醍醐味というのはオートマッチングという性質上巡り会える一期一会の仲間たちとの共闘およびドラマにあると自分は考えている。その人それぞれの戦いや拘り、驚くような技術や見事なフォローなどが如実に目に見えてわかるのは毎度得難い素敵な経験ではないだろうか。
そんな防衛、思い出すのはまだ始めた当初の右も左も分からない状態であった頃のジュレット戦。残り4;30〜の浜辺の大鐘出現時。なまじ単発火力が心もとない占いでの参戦であったがあそこを抑える人材が薄いと判断して駆けつけた所、先んじて誰よりも先に向かい鐘を殴っているバトマスのポピンプ(※プクリポの個人的勝手呼称)が。そのまま合流し手分けして鐘や雑魚の第一波をなんとか落とした末に程なく登場するバナゴルの足止めに向かう。…のだが流石にそこはバトマス単騎、バナゴルとの一対一にてあえなく轟沈した所をすかさずアイテム蘇生した所
ポ:『ありがとう!(すてみ)』
リ:『ポピンプー!!』
蘇生後即自ら装甲をかなぐり捨てて一刻も早く殴りにいくバトマスの鑑みたいな挙動で、手負いのまま階段を攻撃移動で猛スピードで突き進んでいくポピンプ。そのままバナゴル相手に戦闘再開。こっちが雑魚処理している間たった一人で狭い階段上、一撃食らったら終わるというギリギリの戦いを繰り広げるポピンプ。そのまま果敢にタイマンを続けた挙句、最終的に相手の断末魔のブメの余波を躱わしきれず吹っ飛ばされて階段下に垂直落下するという壮絶なる相打ち死。バトマスは2度死ぬ。その姿をしかと見届けつつも流石に大砲に向かわねばならずその場を(翼で)去るしかなかったわけであるが、理解できる方にはおわかりだろうがその役割を果たせる人が一人でもいるかいないかでジュレット防衛の難易度は雲泥の差が出る。後半戦の浜辺と階段ルートの抑え役はある意味ネブド戦のもうひとつの天王山なのだ。だがそれを知っている人にはわかっても、わからない人には全くわからないままなのが防衛でもある。自分の知らないところで、他の人のできない役割を果たしている仲間が確実にいるのだ。だからこその勝利がある。ああ防衛とは皆の勝利のために各々が知恵を絞り、自らの身を呈し戦い抜くこと、その生き様をたとえ誰が見ていなくとも天に見せつけることにこそ意義があるのだと胸が熱くなった。自分はそれをあのポピンプの勇姿に学んだのだ。
ありがとうポピンプ。彼のような英傑にまた出会えることを心待ちに今日も防衛にエントリーしている。
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リ「…という文章を書いたんだが」
ユ「(自叙伝って言ってんのにのっけから他人の話で終わるのすげえな)」