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ぬくぬくどり大戦

リクオ

[リクオ]

キャラID
: LX823-176
種 族
: 人間
性 別
: 男
職 業
: 魔剣士
レベル
: 133

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リクオの冒険日誌

2023-08-16 23:05:43.0 2023-08-17 05:48:06.0テーマ:シナリオ・クエスト攻略

考察;英雄を救うもの ~バージョン6.5臨時途中随想~


(注意:今回はちと真面目にスト感想、かつ最新バージョンの盛大なバレを含みます)


v6の話の内容ついては言いたいことは山程あるのが正直な感想ながら(苦笑)ここでは6.5の展開及びアシュレイについて。

彼が英雄として復活を選びそして悪神化を招いた原因でもある生前の葛藤や疑問、己の決断が招いた苦悩の答えのすべては当代の勇者と盟友の関係や現在の両名の背景そのものが体現しており、むしろ彼があのときアンルシアに出会ってしまった時点でアシュレイ退場を察したんですね。あーここでやるかと。

自分が生きた何千年も先の時代で、自分が名付けた『勇者と盟友』が互いに心から信頼しあい、力を合わせながら苦難に立ち向かっている姿こそ彼が最も知るべきだった真実であり、その光景を実際に目の当たりにした彼の心中はいかばかりだったか。言葉で説明する必要もない。求めていたもの、確かめたかったものが目の前にあった。


「勇者が助けに来てくれたんだ」


もっと早く~遅くとも6,2辺りで出会っていればまだ結末は違ったのかもしれない。けれど物語は今の形で紡がれてしまった。傍にはもうレオーネはおらず、身に宿ったはずの新たな神としての力もまた万能ではないことに彼はあの時もう気づいていた。ならばこれは悲劇なのか。手遅れだったのかといえばそうではない。むしろあの時アシュレイがとった行動は彼がおそらく初めて勇者としてでも英雄としてでもなく単に心から自分がやりたいことをやっただけだった。最後の独白からもああ、あいつ結局女の子の前でいいカッコしやがったな、でいい。


ここで重要なのは、神となった英雄もまた神の力ではなく人に道を託したことだと自分は推察しました。


英雄たちが最初から主人公を妙に好いて大切に接してくれていた理由のひとつが『まだ生者である』こと、今バージョンで聞けるドルタムの『人でいて欲しい』、当のアシュレイの『お前に頼むことを考えておく』といったセリフからも、もう彼らも分かっているのでしょう。

ただ問題があるとするならここでのアシュレイ『消滅』の描写。
神となった英雄のたましいはその力を使い果たした場合、(エルドナが構築した天使の転生システム的な逃げ場もなく)『完全な魂の消失』である場合。神化とはそれほどの業を背負ったものなのだということが証明されるわけで。

今バージョンで最も否定すべきもの、戦うべきものはこの天使たちによる新たな神を作る思想そのものであること
=神々の力への依存からの脱却を描いているのではないかと考えるんですね。


「あなた達は救いなど必要としていない」

6.3あたりで聴けるクリュトスの台詞が、この話の根幹であろうと自分は感じました。
誰よりも救いが必要だったのは、求めていたのは神を求める天使たち、そして彼らが選んだ英雄たちだった。


かつてバージョン2で語られた英雄の概念。そして歴史上英雄とされたものたちとの対比。


英雄は全てを救うなら、その英雄は誰が救うのか。神々には救いはないのか。誰に助けを求めるのか。
それはこれまでの主人公の旅そのものが答えになっている。

困っている人がいたら手を差し伸べる、人と人とが助けあう。自らの傍にいる誰かを心から信じ、お互いのために生きていくこと。誰もが知っている、自然にやっているはずのその力が今も誰かを助けている。そしてーー


誰かを守り助けたという自覚をもてたとき、その者自身が救われているのだということを。


「あなたを守りたい」

その思いを強く抱くことは、同時に救いを求める自らの心の現れでもあったのだとしたら。
結局人を救うのは人であり、そして自らの魂を救うのは、他ならぬ自分自身なのかもしれません。


本作は最初から全編に渡って神々の力や時渡り、予知や予言といったものが結局大したものでもなかったこと、力はそれを扱う側の者次第で如何様にもなることを再三物語っていたと認識しています。結果設定てんこもりとなってしまっている本作の主人公ですが、そのどの力も全て『誰かを助けるため』だけに使っているという骨子があるんですよね。その力が凄かったんじゃない、主人公が持てたから凄かった。むしろ順番が逆で、盟友の力も、種族神の加護も、時渡の力も、そのように使う主人公にだからこそ宿ったものだった。


どのような不条理な扱いをうけても、それが如何に救いがたきものであっても、それでも助けることができるか。

勇者の資質とはいったいなにか。何を持ってそのものは勇者とよばれるのかーー。


もう一度、改めて考える時間が今なのかもしれないと、そう自分は受け止めています。

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