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夢見る少女

はるこ

[はるこ]

キャラID
: VI750-160
種 族
: 人間
性 別
: 女
職 業
: 旅芸人
レベル
: 133

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はるこの冒険日誌

2016-03-11 21:50:41.0 2016-03-12 06:04:33.0テーマ:その他

【東日本大震災】5年、21年、71年

今日で東日本大震災から5年になります。
震災に遭っていないはることしては、
もう5年かぁ、という感覚です。

ご存じの方も多いでしょうが、はるこは神戸に住んでいます。
神戸は震災から21年過ぎました。

神戸で震災から5年というと、どういう感じだったろうか。
少なくとも街は震災の爪痕を感じさせないほど綺麗になっていたように
思います。

大型商業施設や商店街、鉄道などの都市機能は1年後にはほぼ震災前の
状態に戻っていた記憶があります。
そこからさらに4年ですから、震災の爪痕を探すことはむしろ困難であった
と言っても過言ではないかもしれません。

一方の東日本。鉄道の再開も街の再生も、ようやく緒についたか
場所によっては見通しも立たないところもあるのでは…?
都市災害の様相だった神戸と被災地がきわめて広域で、過疎地を多く含む
東日本大震災の単純比較はできないでしょうが、どうしても復興の遅れは
目につきます。
「もう5年」と思ってしまうのは遅れがちな復興の状況を音に聞くにつけて
時間だけが過ぎていっているような感覚があるからかもしれないですね。




<21年目の神戸で起きていること>

阪神・淡路大震災の被災地で今もっとも問題になっているのは
「借り上げ復興住宅の退去問題」です。
これは、災害復興住宅として整備される予定だった公営住宅に替えて
民間の賃貸住宅を自治体が借り上げて被災者に賃貸するという住宅で、
入居期限が20年に限られるという制限がつけられたため、退去期限に
問題が発生するのではということは実は当初から囁かれていました。

結局、一部の入居者と行政が退去をめぐってモメるという事態になって
しまいました。
今から継続入居を認めるとなると退去に応じた人との公平を期す点で
問題となる一方、強制的に退去を求めていくのは正直
「出ていくのが困難な事情を持つ人」に対してあまりに非情な気もします。

このあたり、復興事業の終焉に向けた「出口戦略」をきちんと用意せずに
目先の現実に対処することを優先しすぎたのではないかと思います。
(神戸の復興事業についてはほかの問題点もあるのですが、これは別の機会に…)




今年1月、阪急神戸ビルのテナントが一斉に閉店となりました。
阪急電鉄が駅ビルの再建を決めたためです。

実は、阪急三宮駅は震災後の仮設駅舎をつい先日まで使っていたのです!
関西では一流と見られている阪急にして今まで仮設駅舎が残っていたことは
驚きに値するのではないでしょうか。
(実は、今まで仮設駅舎がそのまま使われてきた経緯には阪急神戸線と
 神戸市営地下鉄の相互直通構想が関係しているらしいのですが、その話は
 ここではしません)

21年にもなる神戸でも、大なり小なり震災の爪痕は残されていることを
思うと、東日本の復興はいつまで続くことになるのか…。
震災に限らず大災害の「後遺症」はたやすく終焉させることはできない
のでしょう。
まして福島の原発事故は収拾の見込みが「事実上見通せない」状況ですし…。
(原発問題については機会があればお話しできるといいのですが…)

「借り上げ復興住宅」の話のように、「問題のしわ寄せ」が弱い人の
ところにいってしまいがちなのも忘れてはいけない問題点だと思います。





<3月10日といえば…>

東日本大震災の前日にあたる3月10日は東京大空襲の日です。
死者は10万人にものぼるとされています。
そして、何千という遺骨が今も引き取られることなく保管されたままに
なっているといいます。
71年目にして「終わっていない」のです。

神戸の震災のあと、一面焼け野原になった神戸の町を見たはるこですが、
その日を遡ること50年前、神戸も、東京も、日本中の至るところで
街が焼け野原になりました。多くの人が亡くなりました。

私たちは、ほとんどの場合、多くの人がそのようにして亡くなった
上に生活を営んでいます。
住んでいる場所が空襲に遭っていなかったとしても、買い物に出掛けたり
とか、何らかの形でそういう場所との関わりを持って暮らしています。

災害も戦争も、多くの人の命を奪う恐ろしい存在ですが、それが確かに
自分の関わっている場所で「あった」ことを心に留めておくことは、
将来にこうした悲惨な出来事を引き起こさないようにするために
大切なことなのだ、と思います。

その事をいつも覚えていることは難しいでしょう。
しかし、例えば3月11日がやってくるたびに、かつて何があったのか思い出し、
何をすべきで何をすべきでないのか考えるとともに、命の重さについて
思いを巡らせる…、そのようにありたいと思うのでした。
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