お久しぶりです。
最近日誌書くのも面倒になってずっと書かずにいたのですが、
日課週課こなしてるとそれ以上何もしたくなくなってしまったり。www
少々重い話になりますが、最後までお付き合い頂けると幸いです。
望みうるなら、若い人の目に触れますように…。
<戦争の惨禍>
「火垂るの墓」のお話は空襲に焼け出されるところからはじまります。
清太と節子が酒蔵のある街を逃げ惑うシーンや焼け残った御影公会堂が
見えることから二人が焼け出されたのは6月5日の空襲と見られます。
この日の空襲で神戸の街はほぼ全て焼けてしまったといいます。
変わり果てたお母さんの姿が衝撃的でしたが、黒焦げになった人の
死体も見えます。
こんな書き方では伝わらないでしょうが、多くの想いもある、家族もある
普通の人たちがたくさん亡くなりました。
空襲のシーンは高畑監督はじめ当時を知るスタッフにより非常にリアルに
描かれたものだとされています。
空から火のついた焼夷弾が降り注ぎ、一面が夜のように暗くなるその様子は
本当に戦争の恐怖を伝えるものです。
<今、見ていて辛いと感じたこと>
ご存じの通り、清太と節子は親戚の家にも居づらくなり、生活は一層困窮
していくことになります。
清太がお世話になっていた家を飛び出したのが間違いと言えば間違いだった
のかもしれません。しかし、あのままあの家で辛抱して暮らしていくことは
たった14と4でしかない子供には想像を絶する苦難に満ちた生活だったこと
でしょう。
あるいは、あの家に留まっていても節子が栄養失調に陥ることは避けられ
なかったのかもしれません。
(実際清太のお母さんがなくなったことを知るやあのおばさんの態度が
豹変しています)
そして、衝撃的だったのは、追い詰められた清太がついには火事場泥棒のような
振る舞いをしてまで食い扶持を得なければならなくなったことです。
<弱いものが犠牲になる>
はじめに衰弱していったのは節子でした。相次いで、清太も国鉄三ノ宮駅の
構内で食うに食えない状態で果ててしまいます。
二人は空襲といういわば不測の事態によって社会的な保護からはじき出されて
しまった人たちです。一言で言ってしまえば社会的弱者と言ってよいでしょう。
節子はその中でもいっそう弱い立場に立たされていたことになります。
清太は節子を守ろうとしますが、たった14でしかない少年が果たして一人で
か弱い子供の命を守れたでしょうか?
節子の命の火を吹き消してしまったのではないかと呵責する清太自身も
弱者というよりない存在でした。
戦争の理不尽で悲惨なところは、弱い者を真っ先に追い詰めていくところに
あるのかもしれないですね。
<豊かで平和だった戦前>
戦争の時代の話をする上で忘れてはならないことがあります。
戦前は、明るく平和で豊かな時代でした。
どうも戦中戦後の貧しく暗い時代のイメージが昭和恐慌の頃からずっと
続いていたイメージがあるらしく、そのことが戦争のイメージを歪めて
しまっている感さえあります。
日本人の生活が戦前の水準にまで改善するには戦後25年も経った
大阪万博の時代を待つ必要があります。
戦後の高度経済成長は、実は戦争による停滞を取り戻していただけという事実。
戦前、戦争につながる動きがあったことは、わかっている人には
わかっていたのでしょう。
しかし、人と違うことを主張することをよしとせず、お上の言うことにおとなしく
従うことを美徳とするような風潮、のみならず、自由にものを言うことが許されない
時代でもありました。
<今日の日本を見て思う>
さすがに現在、ものが自由に主張できない時代ではありません。
しかし、国民は政治を監視することを放棄しているようにも見えます。
事を荒立てないことばかりが優先されて本当に主張せねばならないことにまで
口をつぐんでしまってはいないでしょうか?
自己責任の名のもとに、弱者を切り捨てることを肯定してしまっては
いないでしょうか?
日本人は自己責任という考え方が好きだという指摘もあります。
ここで言う「自己責任」というのは、「他人への無関心」以外の何物でも
ないのですが…。
<それでも救いはあるのか>
清太の野菜泥棒が露見して農夫に折檻を受けるシーンがあるのですが、
警察に突き出された清太を見て思わず警察官が清太を庇うシーンが
印象に残っています。
だからといって、国家という組織の末端でしかない警察官は清太を救うこと
まではしないのですが、それでも同情せずにはいられないという思いを
権力の側に立つものが持っていたことは救いといえるのではないでしょうか。
あるいは作者の願いだったのかもしれませんが…。