なぜこんなことになったのか。
そう思っている人は少なくないであろう東京オリンピック。
まさかの緊急事態宣言下での五輪という、前代未聞の事態へと
突入しようとしている現状は、冷静に考えれば異常以外の
何物でもない。
異常といえば、東京オリンピックは最初からおかしかった。
まず、事前アンケートで誘致賛成より反対の意見が多かった。
しかし、誘致された。
そして、選考委員に賄賂が渡された疑惑が持ち上がった。
「世界で一番お金をかけないオリンピック」と喧伝された。
実際には開催費用は五輪史上最大にまで膨れ上がった。
新国立競技場。建設費が高すぎるとして、コンペ入賞作品が没に。
その後別の案が出されたが、大して安くなっていないとか、
屋根がないのでコンサート等に活用できないとか、そのため建設費の償還の
見通しがつかないとか、
そもそも、レガシー活用で費用を節約するというコンセプトだったはずなのに
なぜ新競技場を建てるのか、とか…。
そして五輪ロゴの盗作疑惑。
これは単にアイデアを真似たということだけでなく、コンペに参加できる人が
必要以上に制限されていたのではないか、という点も問題視された。
極め付きに、オリンピック組織委員会会長による女性蔑視発言と、
すでにオリンピックは社会の暗部の見本市の様相すら見せはじめた有様。
ここへきての、緊急事態宣言下でのオリンピックとあっては、
批判的な視線を集めるのも自然な流れと言えそうなもの。
さて、先日、会場内での酒類の販売についてアサヒビールが販売を自粛すると
発表したことで、会場内での酒類の提供が行われないことになる、
という現象が起きた。
面白いのは、ステークホルダーの立場にあるアサヒが自ら自粛を
言い出して、これがきっかけとなって酒類の提供が取り止めになったこと。
さすがに自ら腹を切る覚悟を見せられては如何ともし難かったと
いったところだろうか。
もっとも、ご存知の通りその後緊急事態宣言が出て無観客となって
しまったのだが…。
考えてみたのだが、オリンピックは再延期が最適解だったのでは
ないだろうか?
アサヒビールの話が出たので、アサヒの立場で考えてみる。
アサヒは五輪会場で酒類を含む飲み物を売ることで収益を上げることが
できるが、今年開催する限りそれは無理。
しかし、例えば2024年に延期できれば、ワクチン接種の進捗や治療薬開発
により、通常の開催ができる可能性は相当にある。
そうなれば、五輪会場で酒類でもドリンクでも売り放題。
確かにコロナというある種の天災で苦境に立たされることは避けられないが、
それは五輪の有無に関係なく起きたこと。
五輪という「特需」を活かせる道が残されるだけ、再延期の方がアサヒに
とっては有り難いと言えそうだ。
五輪を日本国内で開催する理由として、国内景気の浮揚ということは
よく言われていることだと思うが、
何もなしでお祭りさえしておれば、大半の国民がテレビでそれを見ている
だけで景気が良くなるというものではない。
再延期にすれば、時期は遅れるものの、経済効果は取り込める公算が高い
ので、経済効果を期待する層、それも実体経済に関わる部分ほど恩恵を
受けられることになる。
飲食店なら、観戦に出掛けた人が帰りに店に寄ったり、スポーツパブのような
ところでも普通に営業できるなら「特需」は発生するだろう。
海外からのインバウンドも期待できるだろう。
少し違う話だが、組織委員会は入場料収入を当初の見込み通り得られる。
しかし、残念ながら、ステークホルダーからの再延期にしてほしいという
声は、知る限り上がっていないようだ。
というか、最早オリンピックはこういう功利主義で語れるレベルを
突き抜けてしまったのではないか。
ステークホルダーの話をしたが、影響力の大きいステークホルダーは
電通のような元請けしておいて下請けに丸投げするようなところで、
彼らは実体経済に絡まないので、実体経済が回るかどうかには無関心で、
街の一角の飲食店の売り上げがどうだとかいうレベルどころか、
大手ビール会社の売り上げすら彼らにはどうでもいい問題だと思っている
ということなのだろう。
一連の疑惑、疑念、不祥事があったところに、コロナ感染症流行下での
あまりにリスクの高い強行開催を見て、最早これは人類の尊厳と平和の
ための祭りではないと確信してしまった。
今やオリンピックは国家に寄生して甘い汁を吸う連中の卑しい祭りである。
そして、その開催を望むのは、国威発揚を意識した独裁主義的な国家指導者
だけになってしまったのではないだろうか?
ゆえに、オリンピックは死んだのだ。
…精神という面において。