2011年3月11日
午後2時46分……
今でも、忘れません。
卒業シーズンに入り、特定の人は学舎を離れる時期。
当時、僕は小学校6年生でした。
生憎、その時は風邪をこじらせて休み、寝ていました。
そして、時間帯は午後に入ってから暫く経ち、僕は、友達がそろそろ学校が終わって帰り出す頃かなと思いながらテレビを見ていました。
最初は、目眩かと思いました。
横に大きく揺さぶられるような揺れ、すぐに目眩じゃないと気づきました。
地震、しかし今まで体感したのとは違う。
体は辛かったですが、2階に僕はすぐ上がりました、何かの本に地震が起きた場合、2階の方が安全と書いてあるのを見たことがあるからです。
揺れはどれ程の時間だったかどうか分かりません。
ですが、心の中では震源地に近い場所は酷いことになっている、そう直感していました。
再度テレビを見ると、全てニュースに変わり、画面端にある、
『津波注意報』『津波警報』
が、先程の地震の大きさを物語っていました。
そして、幼かった僕は、テレビを見続け、1時間程経った頃。
速報と、中継に、言葉を失いました。
なにもかもを飲み込む黒く変色した海からの水、これが津波だと、実感しました。
その映像の衝撃に、僕はただ、テレビの前で呆然と見ているしかありませんでした。
……これが、震災の時に覚えている僕の記憶です。
被災地はまだまだ深刻な問題を多々抱えています。
原発、被災者、復興………など。
今だに汚染水を垂れ流す原発。
こんなにも危険な原発をまだ動かそうとする政府は一体なんなのでしょうか。
自宅に、故郷に帰れない方々、被災者。
被災者は、まだ8万人程いるそうです。
もう4年なのか、まだ4年なのか。
僕達には出来ることはないのか。
4年経った今、考え直してみるのはどうでしょうか。