先日、フレとこんな話をした。
フレ「マイタウン目標額に到達したから、あとは弓のパル無し理論値を買って輝晶Lv5にしようかなー」
私「わお、それはすごい。ガルドドンに行くの?」
フレ「いいや?バトルコンテンツ興味ないしw」
私「え?」
曰く、世の中には金策とかの作業が好きな人もいるんやで。と。
いや、わかっているつもりだった。世の中には色んな価値観の人間がいることは。
でも金策という作業は「苦痛」であり、苦痛を減らすための努力もするスタンスだった私にとってはこの正反対な発言に心底衝撃を受けた。(私の人生経験が
足りなすぎるだけかもしれないが)
よくよく考えれば、ドラクエ10は作業だらけのRPGである。
レベル上げ、金策、すごろく(←調整はよ)、魔塔、エンドコンテンツの周回、週課やピラミッド、万魔…
もうやり飽きてもいいはずのコンテンツに性懲りもなく通い続けているのだ。
ましてや、作業なんてものはリアル生活においても山のように存在する。
通勤や通学、物を運んだり料理を作ったり、創意工夫が介入する余地はあれど私達は作業まみれの人生を歩んでいる。
単純作業とは元々は苦痛であるに違いない(少なくとも私はそう思っている)。しかし、その苦痛を快楽に昇華させてやろうとする意地を、人間は誰でも持っている。「人間の根底にはマゾヒズムが存在する」というある種の哲学を身をもって痛感させられた。
…前置きが長くて申し訳ない。
私が今回こんなことを書こうと思ったのはこの体験から連想して、「MMOは元々はマゾから生まれた産物」ではないのかと考えたからである。
時に1997年。世界初のMMORPG「ウルティマオンライン(以下UO)」が発売された。
RPGだがモンスターは倒さなくても良い、職人ひとつにおいても素材の調達が非常にリアル、PKや詐欺師といったヤバい分野もシステム化…などなど当時は「ゲーム中で他のプレイヤーとコミュニケーションが取れる」という衝撃が走っていたのに、これに更に「現実を再現したようなシステム傾向」が重なり、商業的に大成功。日本は当時PS1やN64といった家庭用機が普及しまくっていたため人気はそれほどではなかったが、飽くまで世界全体の話だと理解されたし。