こんにちは。エルフのひさと申します。このたび新・七不思議写真コンテストで青山公士賞をいただきました。ですが今回したいのはその話ではありません。私は以前にも写真コンテストで賞をいただいたことがあります。その時の話です。エルフのひさはなぜ写真コンテストに応募するようになったのか、というお話です。
話は2012年10月9日にさかのぼります。v1.1、DQXの初めての大型アップデートの日です。多くの新要素が追加されましたが、その中にちいさなメダルで交換できるしぐさがありました。決めポーズです。派手な動きの組み合わせで、今でも愛用されているくらい良く出来たしぐさです。当然みんな欲しがりました。私も欲しかったです。ですが…。
今でこそ四桁五桁所持していても不思議ではないメダルですが、当時は本当の本当に貴重品でした。入手手段が敵からの金宝箱とフィールドの黒宝箱しか存在しませんでした。当時の流行語はひらめきタイガー、ひらめきのゆびわとタイガークローを持ってる人が重宝されたという意味ですが、つまりそれくらいひらめきのゆびわを持っている人が少なかったのです。ゆびわはメダル30枚です。どれくらいメダルに価値があったかの一端を示す話です。そして決めポーズはメダル25枚でした。
私がこの時持っていたメダルは確か15枚程度です。どう考えても足りないし、近いうちに手に入る当てもありません。ですが、まだ希望はありました。この時追加されたのは決めポーズだけではありません。メダル5枚で交換できるしぐさもあったのです。私は貴重なメダルとそのしぐさを交換しました。それは
「指さす」です。見ての通りです。当時は指がくっついていましたが、高画質化した今でも基本は変わりません。指さすと言うか、手を前に出すしぐさです。当然決めポーズの動きとは比較になりません。これが血の一滴より重いメダルと交換で手に入れたしぐさなのか。そしてこれを交換したことでさらに決めポーズが遠のいた。呆然となりました。
決めポーズは前後左右の4種類。当然一人で全部入手するのは難しいので僕は右、俺は後ろ、私は前、という風に別々の部位と交換してみんなで揃えるわけです。
なのに、なんで私は手を前に出してるんだ。何に使うんだよこんなの。
辛かったです。
時が流れて。
クリスマス写真コンテストの結果発表の日になりました。私はこのコンテストに応募していません。写真は嫌いではなかったですが、撮ったとしても記念写真の域を出ておらず、応募するような写真は持っていませんでした。かといって全く興味が無かったわけでもないので、どんな写真が見られるのか結果は楽しみでした。
その時の入賞作品はこちらです。
http://hiroba.dqx.jp/sc/topics/detail/65b9eea6e1cc6bb9f0cd2a47751a186f/
堀井雄二賞の写真を見て私は愕然としました。
そうです。「指さす」でした。「こんなの」呼ばわりしたあの「指さす」。それはクリスマスの風景の中にあまりにも美しく溶け込んでいました。鮮やかで、華やかで、楽しそうで。私が捨て去ったしぐさがこんな風に見事に使われるなんて。本当にショックでした。私は今までいったい何を見ていたのだろう、何を知っていたのだろう。
ようやく私は気づきました。
あの時、本当に足りなかったのはメダルではなかったのだ、と。
これが全ての始まりです。
写真に魅せられたのです。記録写真とも記念写真とも違う作品としての写真。表現としての写真。千の言葉より雄弁に何かを語る写真。私がそうであったように、時に人の考え方すら変えるような写真。私も撮りたいと思うようになりました。指さすしぐさは持っていた。条件は同じだった。ならば私にも出来たはずだ。そのチャンスはあったはずだ。自分で投げ捨てさえしなければ。そう考えました。振り返るとおこがましい話ですが、人が前に進むには時に傲慢さが必要になることもあるのです。そしてそれを証明するために写真コンテストに本気で応募するようになりました。
私が賞をいただくのはそれから四ヶ月後のことです。
全てのきっかけとなった指さすしぐさには、今でも特別な思いがあります。
私信 バナナンさんへ。
師匠。私が何故あなたを師匠と呼ぶのか訪ねられたことがありましたね。これがその理由です。直接教えを受けたわけではありませんが、あなたは大事なことを教えてくれました。あなたがいなければ今の私はありません。そして、実際にアストルティアで出会った後もずっと私を励まし助けてくれました。どんなに時が経とうと、あなたが私の師匠であることは変わりません。時を逸してずいぶん遅くなってしまいましたが、ようやく言うことが出来ました。ありがとうございました。