この物語はフィクションです
寿司に漬ける醤油と他人事程どうでも良いという言葉が、世の中にはある
要するに、私は寿司の素材本来の味を楽しむ派だ。そして私の人生も、醤油が浸されていないイカの如く味気ない
私の人生はとにかく「普通」の一言で片付けられるくらい面白味のないものだ。毎日同じ生活の繰り返しで仕事も私生活のサイクルは微塵も変わらず、たまにある私の同性...つまり女子との交流も、普通すぎて味気の無いものへと変貌を遂げた
普通がどれだけ幸せなものであるかは、今昔問わず色々な悟りを開いた人が訴えている。勿論私だって仕事中考えた。しかしそれを幸福な事かと捉えるのははあくまで人それぞれの思考であり、皆が皆同じとは到底言えない。私もその同じではない人間の一人
しかし私も人間。普通な生活を打開しようと努力はした「つもり」だ。しかし努力という計算式を作り頑張っても努力+の後に来るのは決まって普通。これでは努力+普通=普通で何もならないし、+を×にしても同じ事。頑張りなんてありゃあしない
普通と言う名の私の尻尾を私自身が噛んでいるなんて、過去に本で見た神話の怪物ウロボロスの様。それにまさかこんな皮肉な形でなろうとは、さしもの大蛇もさぞかし...驚くのだろうか?
今日は憂鬱な気分だ。そう思い普通に帰宅した私は普通に食事等を済ませ、唯一の楽しみであるドラクエ10を起動する。ゲームの世界は常に目まぐるしく変わるから、飽きが来ない。普通という概念がないそこは輝いて見えて、面白味を求めている私にとって憧れの世界。その世界に飛んで今日一番に向かった場所は
ぼちスタという場所だ
オープンハウスという機能を初めて使いヒゲを生やした女子に物珍しさを抱きやって来たが、どうにも先客がいるようだ
「こんばんは!」
スタジオと思しきスペースにあるソファに座っているそれに座るには服装が不似合いすぎる男は私の存在に気付くや否や、声高らかに暑苦しく湿った挨拶を飛ばしてきた。服装から推測するに、ゲームを始めたばかりの初期プレイヤーだろうか
ゴアンゾと名乗るその男は続けて私に「一緒に写真を撮ってくれないか?」とお願いしてきた。私は暑苦しい男は苦手だがlvMAX常闇5全制覇している大先輩が、未来ドラクエを楽しむであろう後輩の頼みを断れば恥となる。私は渋々承諾する事にした
一緒に撮影してるが中々面白い奴だ
スタジオにあるものを斬新な形に使っては味のある1枚を撮る彼の姿を見て、私はいつの間にか忘れかけていた「楽しさ」を思い出していた。彼を見る度普通という名の悪魔に奪われていた視界の色が戻り、怖いと思うくらい好奇心旺盛に進んで彼に言葉を投げかける
はしゃぎながらスタジオで遊び倒す新人男性プレイヤーと廃人女性プレイヤー。実力とか経験なんて関係ない、彼ならきっと私の尻尾を噛みつく私の顎を外してくれる筈。そう信じて久々に投げかけた言葉は
「私とフレンドになってくれませんか?」
彼の返事がない
彼の元に駆けつけると、青白い光に染まった彼の姿がそこにはあった。半透明と化した彼の身体は私の手を擦り抜け受け付けず、言葉を話せられないのか何一つ語らない、私が何度彼の名前を叫んでも喋らない。ただ手を振る彼の姿だけが、カラフルになった私の視界に映っていた
私が彼の姿を認めてから程なくして...彼は消滅した
消えた後も彼が最期いた場所に向かい、私は何度もゴアンゾと叫んだ。久しぶりに...いや過去一番泣き叫んだだろう
しかしいくら叫べど放った名前は壁に当たっては床に落ち当たっては床に落ちて、それを拾う者は誰もいない。帰ってこない事なんてわかっている。それでも私は叫びに叫んだ。だってそうする事しか、今の私には出来ないのだから
ピンポーン
家のチャイムが鳴る。誰かが来たみたいだ。床に積み重なり山を形作ったゴアンゾの名前を見るに、どうやら私はとても長い時間叫び続けていたらしい
「こんばんは!」
我に帰った私は床にある名前を掃除し挨拶をした赤の他人に目もくれず、側にある扉を開け放心状態のままログアウトした