大地が怒気をまき散らすように荒ぶる風が吹き抜けた。
生死を賭した渦潮に近づくことすら許されず、悔しさを乗せた拳は膝元の岩場を赤く染める。
やがて風が動きを止めるとき、血の気を失った頭の中にかろうじて感じ取れたのは、頬にべたつく潮の感触と、胸の奥で遠く鳴り響き続ける、波がはじけ散る音だった。

――凪いでいる。
切り立った崖の上から今夜も海を眺める。
このような凪の日であっても、潮は満ち引き鴎が鳴く。
今まで生きてきた中でこれほど毎日海を眺めたことなど無かった。
だから海がこれほど騒がしいということに初めて気づいた。
一瞬たりとも静まることはなく、同じ姿を二度と見せないということに。
例えば空などは、雲の移ろいに同じ形はないが、いつも静かに佇んでいるではないか。
例えば森などは、いつも多くの命が音を立てているが、夜になると突然に、暗闇のヴェールで全てを包み込み、音も光も時の流れさえ、相手を問わずに奪い取ってしまうことがある。
それに比べて海はどうだ。幾重にも重なり合う波の満ち引きはまるで鼓動のように、絶えることなく脈打ち続けているのだ。そう、これ以上なく嫌味なほど――
「カルラ、またここにいたのか。」
――ワッサンだ。
この青年はいつも飄々としているが、あらゆることに細かく気を配る。今日もこうして、心の置き所を見失った自分のことを気にして声をかけに来てくれる。
「食事ができたぞ。今日はお前の大好物だ。おっと、何かは言わないぞ。想像する楽しみを奪ってしまっては大変だ。」
毎日この調子だ。何を言おうと自分が皆と食事を共にすることはないとわかっているくせに、こうしていつも当たり前のように誘いに来る。
「いや、いい。もう食した。大好物は君に譲ろう。」
「おやおや参ったな。もう戦乱は過ぎたんだ。戦いのない毎日で君の分まで食べていては、確実に太ってしまうじゃないか。」
仰々しくおどけて見せつつさらりと横に座り、彼は話を続けた。
「なあ、カルラ。前を見ないか。君は生きているんだ。」
――ああ、そんなこと知っているさ。
そうだ。命を捧げると誓った団長はもういない。あの方の沈んだ海をいくら眺めていたって戻ってくることは決してない。
そうなのだ。ともに戦った仲間たちはすでに前を向いて歩き始めているのだ。
彼らは悲しみを弔い、思い出を誇り、彼に守られた命を慈しむために、村を起こし、生きていこうとしているのだ。
みっともなく時の殻に閉じこもっているのは自分くらいなのだろう。
わかっている。自分だって情けないと思ってはいる。しかし、動けないのだ。足が、手が、頭が、心が、動かないのだ。
自分の全てを団長に捧げ、御庭番として生きると誓ったあの日から、自分の細胞は全て、あの方のお考えや行動のために動いて来た。今の自分はまさに、糸の切れた操り人形なのだ。
「――本当に生きているんだろうか。」
ワッサンは答えなかった。黙ってしばらく横で一緒に海を眺めた後、「僕が太る前に止めに来てくれよ。」と穏やかな笑顔で言い残すと、静かに村の方へ戻っていった。
全くありがたいことだ。でももう、限界かもしれない――
森が恋しくなった。
団長だけを見て生きてきたわけではない。あの方を通じて触れ合った仲間たちは皆、自分にとってかけがえのない宝なのだ。しかし、騒がしい海の囁きは毎日ジャラジャラと重く心に纏わりつき、立ち上がる力を着実にからめ取っていく。
ここにいるのはあまりにも辛すぎる。
潮風は決して心を乾かしてくれそうにない。