宵闇に飛んでいた鴉、昏闇の中どこにいるのかいないのか――
牢獄の闇は石の闇、何も聴こえぬ冷たい闇で、生きているのかいないのか――
「ちゃんと生きておったか。」牢に入って数日後、自分を追い詰めた大男が顔を出した。「ワシがおんしを処刑することとなったんでよろしくな。」男の言葉は唐突だったが、不思議と違和感を感じなかった。
「いつ、どこになるのだ。」
「任されちょる。今、ここでどうじゃ。」
「――わかった。早くしてくれ。」
男は取り出した鍵を使って牢の中に入り、石壁に鎖で繋がれている盗賊に黒い仮面をつける。
「おんしがつけていた仮面じゃ。お気に入りだと思って死に装束にと持ってきたぜよ。」
「――気に入っているということもないが、家族が名前とともに与えてくれた面だ。」
「そうか、なら大事なものじゃのぉ。おんし、名はなんと申す。」
「カラスだ。」
「そうか。ならカラスよ、さらばじゃ。」男は盗賊の胸に手を当てると低い声でつぶやいた。
「いなずま。」盗賊の体はびくんと一跳ねし、動かなくなった。
――バラバラと雨音が続いている。牢とは違う音だ。どこかの宿屋にいるらしい。
どうやら自分は仮死状態にされていたようだ。胸の火傷を治療した痕跡がある。ゆっくり体を起こして辺りを見回すと、あの大男がこちらに気づいた。
「おぉ、目が覚めたか。三日ぶりじゃのう。悪いが勝手に死んだことにさせてもらった。」
「――なぜ殺さなかった。何の利がある。」
「世の中、利害だけではないぜよ。特にワシみたいな冒険者はな。」
――冒険者。世の中の秩序から外れ、自由気ままに旅して歩く連中だ。中には大陸に名が知れ渡るほどの強者もいるとか。そういえば聞いたことがある。天地雷鳴士として呪術を極めており、多くの人間を助け、冒険者達からも人望の厚い、山のような体格のエルフがいると。
「シャクラ…」
「ん、わしの名を知っているのか。まぁいい。おんしを助けた理由は言ったはずじゃ、殺すには惜しいとな。どうじゃ、率直に聞くが、ワシを助ける気はないかの。」
――自分が、大陸に名を轟かせるほどの勇者を助ける、だと。どういうことだ。
「ワシは今まで、ただ好き勝手に生きてきた。しかし、人生とはわからんもんじゃ。気づいたら、こんなワシに期待し、頼りにする人間が信じられんほど増えてしもうた。おかげで、ワシの大事な者同士が敵対したり、ワシが動くと目立ちすぎて困ることも多くなってきてな、ワシの代わりに動き、助けてくれるような融通の利く仲間が欲しいんじゃ。」
男のまなざしは真剣だった。これほど高名な勇者が自分を必要とし、さらには自分に生きる目的、生きる場所を与えてくれるというのか。にわかには信じ難かった。
「私のように取るに足らない者が、貴殿のような勇士のお役に立てるというのか。」
「ンハハハハハ!そう思っちょるから頼んでいるぜよ。」豪快に笑い飛ばされた。おそらくこのような懐の深さに皆魅かれるのだろう。そう感じたとき、自然と心が定まった。
「もったいないお言葉です。わかりました。このような命で良ければ、どうぞ御自由にお使いください。」

「ありがたい。よろしく頼む。ところで一つ、おんしに謝らなければならんことがあるのじゃが、その仮面、申し訳ないがちょっと細工させてもらったぜよ。」
仮面を外してみると、黒かった仮面が赤く染まっていた。
「すまんがおんしの血を借りて、ちょこっと幻術の呪いをかけさせてもらった。いかんせん、おんしは死罪の身じゃ。見る者が、咎人と気づかないようにしておかんとの。大事な仮面と聞いていたのじゃが。」
「構いません。過去は捨てればよいのです。」
「そうか、ならせっかくだから新しい名前をつけるか。『カルラ』というのはどうじゃ。烏の頭を持ち、人々を守ると言われている神様の名なんじゃ。」
――カルラ、か。
新しい仮面と新しい名前が、自分を生まれ変わらせてくれるような予感がした。