人によってプレイスタイルは千差万別。
僕は今まで所謂野良プレイでほとんどのバトルコンテンツを遊び学習し、楽しんできましたが、フレンドさんの中には野良(というかサーバー01の人ごみ)が嫌いな人もいるのです。理由は心得てますし、そのことを咎めたり叱責したりなどという愚行をするわけでもございません。
まぁ野良ってホントに色んな人で溢れてるわけで。
今日も暴走魔法陣と超暴走魔法陣が重なり最強に見える俺のマダンテをくらえっ!て感じの魔戦さんや(オイオイマダンテは暴走しないよ笑)、モンスター同盟ですてみもせず渾身斬りに打ち込むバトマスさんに会いました。
きっと彼女は1日1万回日が暮れてもなお感謝の渾身斬りを続けているのでしょう。その行動にどんな意味があるのか、きっと渾身斬りを繰り返していればいずれ見えるのかもしれませんね〜。
僕はそういう人達に会った時、アストルティアは広い。こういうプレイの仕方を楽しむ人もいるんだなぁ…、となまぬる〜〜い眼差しを送るだけで特に口出しをしたりはしません。きっとその人なりに考えた最良の選択肢なのかもしれないし、その人の行動は曲げられたくないものかもしれませんからね。
さてそんな野良界隈において、戦犯だとか地雷といった蔑称があります。
読んで字のごとく、勝利に貢献したとは言いづらい人、そのプレイングで敗北を喫した原因を生み出した人を指すことが多いようです。
例えると、悪霊の神々強で開幕アトラス強にスリープダガーしたり、魔女グレイツェル強のミラージュボディにキャンショあわせられなかったり、眠っているエレメンブルーに氷結らんげきしにいったり、こういう具合かな??
その人について、ある人は怒り、ある人は呆れ、ある人は無言抜け、果てにはパーティ解散することも。
しかし僕はそういう方に怒ったりするのはおかしいことではないかと思うのです。
戦犯呼ばわりされた人は、始めたばかりで拙い技量なのかもしれないし、チームクエストのお題で出たから久しぶりにやってみようと決起した人かもしれない。己を練磨すること≠ゲームを楽しむって考えの人かもしれないし、そもそもドラクエ10のイン自体数週間ぶりって人かもしれないから。
並悪霊と間違えてアトラス強を起こしてしまったら次はそれを防ぐよう行動すればいい。
魔女グレイツェル強の分身を阻止できなかったら分身されても倒せるよう努力すればいい。
エレメンブルーが眠っていたらその隙にバフを整えることを学べばいい。
反省し、学び、次に備えそうして強くなる。それでいいじゃないか。
成長する機会を閉ざし、冷たい言葉を投げて離れていく人とどっちが地雷なのでしょうか。
僕は戦犯と呼ばれる行動をしようとも、そこから学び、次につなげようと努力する人は地雷とは呼びません。むしろそれは誇らしいこと。
野良ってそこまで冷たい人だらけじゃないから、わからないことがあったら戦う前にバンバン質問投げかけてくれたっていい。それが時間の無駄だとは思わない。人の成長を見ることはいつだってよい気持ちに浸れるのだもの。
(じゃあ質問もしないアドバイスや人の話を聞かない人はどうなんだと言われますと、文字数の都合で端折らせてもらいます……笑)
それを踏まえて、野良で大切なことって、寛容な心構えと向上心ってことになるでしょうか〜。うまくまとまらないけど、きっとそういうこと。
何故こんな文章を書こうとしたかというと、今日のオートマドレアム(賊戦戦魔レン旅僧賢)で賢者さんが、
「なんで僧聖女せえへんの?」(どうして関西弁になるんでしょうかねぇ)
と言ってきたからです。
聞いてたこちらが呆れてしまいました。賢者が食らいそうなダークドレアムの攻撃で聖女の守りが有効なのはブレス、ギガデイン、ギガスローくらい。
ブレスはまもりのきり、ギガデインはマホステで防げますから、実質ギガスローくらいになりますね。
その賢者さんは精霊王セットでしたのでビーナスの涙とストームタルトを使えばダメージおよそ1000のギガスローは耐えることができます。
賢者は死亡後の立ち上がりが遅いから、数回死んでしまったところで我慢ならなかったのかもしれませんね。
そして僧1なのに聖女の守りを懸命に配った結果、グランドクロスで半壊。
しかしサプライズラッシュや真やいばくだきで持ち直すことが出来たため、無事勝利を収められました。
僧侶さんは終始無言でした。
ただでさえ大変な僧侶に俺を守れとせがむ。それを遂行した結果全体の回復量が落ちて場が崩れた。一体誰が地雷なのでしょうか……
コンテンツを腐らせていくのはこういう人なんだなって、そう思いこの日誌を書きました所存です。