全身が総毛立つ感覚を襲った。
それはどこまでもどす黒く、歪で、醜悪で、狂って、どうしようもなく哀れで、不快で刺々しく血生臭く、ドロドロと渦を巻き、エゴに満ちていた。
見ているだけで足が竦む。ここから立ち去らねばという警鐘が頭に鳴り響く。一刻も早く目を逸らしたくなる。だのに、背を向けることができない。
全員が一瞬で理解した。言葉でうまく言い表せずとも、考えることをするまでもなく、『ソレ』が何であるのかを。こんな悍ましいものだったのかと、現実を突きつけられる。
これは、『人』そのものだ。
人の悪意。負の側面。闇。それらの群生。500年という長い時間によって蓄積し、熟成された人の塊だ。
「…よくもまあ、ここまでデカくなったもんだ。」
吐き捨てるようにリンドウが第一声を開く。他の面々は様々な感情が浮かびはすれど、それを言葉にすることができない。上手く言い表せない。こんなモノを前にして、どんな評価をすればいいのか、理解が及ばず全く分からなかった。
「魔物は敵だ。
魔族は悪だ。
奴らは憎むべき、不俱戴天の敵。
生かしておいてはならぬ。
許してはならぬ。
殺せ。
殺せ。
あの悪鬼を、あの外道を、あの悪魔を、あの魔性を。
我らから全てを奪った者どもを。
我らは決して負けはしない。決して赦しはしない。
アストルティアに魔族が蔓延る限り。
必ず、奴らへの復讐を成し遂げようぞ―――。」
魔族への恨みを呟いていた。
レイダメテスによって滅ぼされた幾つもの命。故郷を、愛する人を、我が子を、思い出を、誇りを、未来を。全てを踏み躙られたという憎悪が、今もなお炎のように燃えていた。形なき殺意が、瞋恚が、怨恨が、悲嘆が、今ここに悪意の霊群となって渦を巻いていた。
これが、500年もの間魔物と魔族を恨みに恨み抜いた、レイダメテスの大戦の戦士達の成れの果てであった。
息が詰まる。
本を読んで知ってはいた。レイダメテスの時代、彼らがどんな悲劇に見舞われたか、血で血を洗う時代だったのか、それも知っていた。
だがそれでも、こうも悍ましいものだったのかと、かいりはただ何も言えずにいた。
瞬間、怨念の炎の火の粉が飛んだ。が、それは不規則な軌道を描き、曲がるはずのないところで曲がり、次に一直線になって、ウサみんの元へ向かっていった。
直感する。これは触れてはならない。これは近付いてはならない。触れれば最後、どんな怨嗟に苛まれるか想像もしたくない。誰もがそう判断し、咄嗟にウサみんを庇おうと入った。が。
「消えろ。」
その炎のような怨霊の切れ端は、リンドウが触れた途端に水気に突っ込んだ火の点いたマッチ棒のように消え去った。
「…ウサ子の魔物の匂いに反応したな。もんもを連れてこなくて正解だったな…。」
魔物や魔族を憎むこの怨霊群は、魔物を前にすれば更に攻撃的になる。今この場で最も魔物の匂いが濃い人物と言えば、ヴェリナード城にモーモンやトンブレロを連れてきたウサみんだ。ゆえに反応したのだろう。
ウサみんだけではない。
魔女に片足を突っ込んだリンドウ。
ホイミスライムを大切な友達と呼ぶアオック。
魔物をその身に取り込んだライティアやライオウ。
そして、人ならざる妖精と共に旅をしたかいり。
いずれも、この怨霊を刺激するには十分すぎるほどの面々なのだから。
いや、”敢えてリンドウはこのメンバーを指名したのだ”。
なぜリンドウがその怨霊を消せたのか理由は分からない。だがその動きに反応してか…怨霊の興味はリンドウ達へと移った。
「…何故…人が魔物と共に在る…。魔物は敵だ…。魔族と何も変わりはしない…。殺せ…殺せ…殺せ…!」
一層、怨霊たちの燃え上がりが強くなる。
わかっている。既に時代は変わった。魔物が魔物であることで忌み嫌われる時代は最早過去のものだ。だが、この村の者にとっては敵のままだった。レイダメテスの大戦の頃から、延々と受け継がれている魔物や魔族への敵対心。それは間違いなく、現代のアストルティアにもある根強い怨恨の大元だった。
眼を背けたくなるような嫌悪感に全身が射抜かれそうになるも、どこかその復讐心に正当性があるように思えてしまう。
どうすればいい?どうすればこの怒りが鎮まる?どうすれば浄化できる?誰もが気圧され、戦い方を模索しようとしていた。
その瞬間。
「…ふふ。クククククク…ッ。」
霊群達の巨大な嘆きの怨嗟の合間…小さいながらはっきりと、誰かの嘲笑が耳に届いた。
「…許すだの…復讐だの…。」
次は、もっとはっきりと聞こえた。それはリンドウの声であり、いつもの声色よりも、少しだけ低いトーンで呟いていた。そして―――。
「笑わせるなよ。」