怨霊達が完全に姿を消してからは、探索組が各々村の魔瘴や汚染の籠った場所を浄化していた。
この地の完全な浄化は、女王の恵みの歌がなければ不可能でもあるゆえ、浄化自体は軽いもので良いと言われているが、それでも皆がねるを思い、なるべく村の各所を元通りにしようとしてくれていた。次第に鳥の鳴き声や草木の香りも届き始める。
「どうしたんだい、かいり殿。そんなところで。」
ふと、屋根の上で作業を見守るように座り込んでいたかいりの隣に、リンドウが腰を下ろした。
「…ねえ、リンドウ。」
「なに?」
「私には…あの怨霊の考えてたことが分からないの。どうして、あんなにまで憎むことができたの?」
大切な人を、故郷を奪われた仇だから。敵討ちの為に命を燃やしたから。それは分かる。
だが、この村に残っていた怨霊は、明らかにその度を越していた。500年もの間の怨恨を抱え続け、現代まで持ち越す。人の形を取り理性的に戦えるまで。それが生半可な所業でないことは、かいりもよく知っていた。
「どうして、憎み続ける事に疑問を持つんだい?」
「だって…疲れるもの。何かを憎み続けるのも、誰かに怒り続けるのも。」
たとえどんな憎しみも怒りも、時間が干渉してその感情を融和する。憎しみのエネルギーは確かに大きいが、それは決して長続きしない。個人の感情レベルでは、いつか必ずガス欠を起こすのだ。
「そんな疲れることをしても、幸せなんかにはなれないわ。誰だって苦しみからは早く解放されたいものでしょ?」
当たり前の事を言ったつもりだった。だがリンドウはその言葉をじっと聞いて、そしてかいりの方を見て微笑んだ。
「かいり、やっぱり君は賢いね。うん、正しい道を選べる人だ。」
「だったら…。」
「でもね、違うんだ。この村の人達はね、憎んでただけじゃない。ほんの少しだけ、楽しかったんだよ。」
思考が止まる。
予想外の彼女の言葉に、かいりは意味が分からなかった。憎むことが、楽しい?
「簡単な例を出そうか。少し前、アスフェルド学園でいじめ問題があっただろう?」
「…ええ。」
知っていた。アスフェルド学園で、一部の生徒が行った生徒への暴言、暴力による自殺未遂があった事を。
「ところで、かいりは勇者とか英雄は好きかい?」
「…もちろん。大好きよ。誰だってそうでしょ?」
「そうだね。誰にも人並みにはヒーローとか勇者とか、そういうのに憧れる。大体の子どもは、そうやって育つだろう。」
「…。」
「当然、学園に通う子供達の多くもそうだろう。けど変じゃないかい?英雄譚とかじゃ、いじめる側は悪だ。英雄に同調する子どもが、学校では平気で悪であるいじめる側に立つ。」
「それ、は…。」
上手く言葉が出てこなかった。何か言いようのないものが胸を締め付け、喉を詰まらせた。
「それは単純。人は、憎む事が快楽だから。憎み続ける事は楽しいんだ。」
「…!」
何かが、自分の中でがちりとはまり、嫌な音が聞こえた気がした。
「そしてもう一つ。学校の教室や小さな村のような、狭い空間や限られたコミュニティ。そういったものは人の判断を狂わせる。自分に同調する人を集めやすく、そして自分は正しいのだと、錯覚しやすくなる。流れのない空気や水は、簡単に澱んでしまう。」
「…。」
「その結果、自分達はいじめているのではなく、悪を倒すヒーロー側なのだと、正しい事をしているのだと思い込んでしまう。そしていつからか、憎む事よりも正しさゆえに、楽しさゆえに暴力を振るう。そうやって、楽しいから憎むようになり、人を快楽の泥沼へと堕とす。」
淡々と言葉を続けるリンドウを前に、かいりはもう何も言えなくなってしまっていた。幼い頃やっていた、楽しかったヒーローごっこ。その時、自分は本当にヒーローとしてヒーローをやっていただろうか。そんな記憶が、頭の中をぐるぐると回り始める。
「憎しみを薄めたものは、私達の周りにもあるものさ。冗談を言ったり、からかったり。僅かなストレスを与えて楽しむ、微かな悪意は人生のスパイス。互いに相手を尊重し、一線を越えない量ならば、むしろ良いものさ。」
そんな彼女を心配したのか、リンドウは少しだけフォローを入れた。
「そしてこの村に残っていた人の怨念は、そんな悪意に付け込まれてしまった。魔物を憎む事は楽しかっただろう?と、耳元で囁かれて。」
「…じゃあ、あの人達は、楽しくて恨んでいた訳ではないのね。」
「さあ、どうかな。少なくとも、付け込まれたなら快楽に感じてたところもあっただろうさ。」
「そんな、こと…。」
「ああ、その快楽はごく少数さ。彼らが感じていた、大切な人を奪われた怒りや、故郷を失った憎しみは、確かに正当なものだった。一つの正義の形だった。決して、楽しいだけの理由で魔族を憎んでなんかいなかったさ。」