「かいり。貴女は常に正しい道を行こうとする。そして、非道な行いには嫌悪し、怒ることが出来る。それは正しい感情さ。けれどもし、嫌悪していることに僅かでも快感を感じていると思ったなら、距離を取るといい。」
貴女には、そんな穢れたものに染まってほしくはないから。最後にそんな言葉を添えて、リンドウは再び口を閉じた。
「けど…その悪意ってのは、どうしてイオリ村を狙ったの?悪意は、一体何をしたかったの?」
こういう時、彼女の勘は無視できない。
「…それは単純。もっと大きな悲劇が起こせていたかもしれないからさ。それこそ、世界を壊してしまうほどの。」
「…!?」
「私は戦ってたんだよ。その悪意が結実しかけた”ソレ”を。」
リンドウが対峙したソレは、彼女でさえギリギリ勝利を収め一目散にねるを抱えて撤退するしかなかった。その状態で怨霊達と戦っていれば本当に死んでいたかもしれない。
どのようにして、そのような存在が生まれたのか。それはいくつかの偶然が重なり、この村の特異さが原因となっていた。
まず、イオリ村はレイダメテスの大戦で多かれ少なかれ大切なものを失った者の集まりだったという事。
魔物や魔族に全てを奪われ、仇を取り復讐を為す。それらが彼らを生かす原動力になっていた。
そして、レイダメテスの大戦が唐突な終戦を迎えたこと。
どちらかの圧倒的な敗北で終わらなかった戦争は、村の戦士達の復讐の炎が収まるべきところに収められなかったのだ。
そのためイオリ村の戦士達は、終戦後も戦いの日々を過ごしていた。戦術的には魔族側の敗北であったからか、戦争の本当の目的を知らなかった大部分の魔族は敗残兵として逃げ惑い、そのほとんどが斃された。
だが、そんな残党狩りも長くは続かない。やがて島中の残党が消え、ウェナ諸島からも大戦の篝火が消えようとしていた。
ここで、ある一つの矛盾が生じる。
自分達は長く憎悪に身を浸し過ぎており、最早魔族を滅ぼし尽くすまで止まらない。逆に言えば、魔族が滅びてしまえば自分達の存在意義は消えてしまう。
受けてきた悲劇や憤怒を、風化してしまうことを恐れてもいたのだろう。当分は、魔物は悪だという教えを広め続けることで、村の体制を保ち続けていたのだが、それが限界を迎え始めていた。
そしておそらく、悪意に付け込まれたのがこの頃だ。
悪意に堕とされ、村全体が魔族という悪を倒す快楽に溺れた頃…その快楽を満たし続けたいという想いと、魔族は永遠に悪であってほしいという想い。二つの矛盾した想いが無意識に生まれる。
即ち、戦いの終わりを望まなくなった。
同時に、自己弁護…自分達が戦っているモノは、決して誰も斃せない最強の存在であるという願い。
ある意味、一般的な”悪の魔族”というものが、この村の人達に心の底から信仰されていたのだ。
そして、その信仰の成果が、リンドウの戦ったソレ…”悪の魔族”だったのだ。
「同時に、私はぞっとした。悪の魔族は、ねるを殺そうとしていたんだから。」
「…何の、ために…?」
「長きに渡る信仰も、あと一歩のところで完成せずに時代の流れによって風化した。しかし”何故か”この時代に再び目覚め、再度魔瘴で汚染し村を魔族への怨念で満たした。しかしそこに、一人だけ魔族を恨み切れない少女がいた。」
それが、ねるだったのだ。
「…もし、さ。ねるがそのまま殺されちゃってたら…どうなってたの?」
「この村の怨念全てが魔族を憎むだろう。そしてその想いを流し込まれた魔族の象徴は、最悪の形で一線を越える。」
ねるは村の外に出れないという以外は、普通の少女だった。普通に両親から愛され、普通に家族を愛していた。
そんな彼女が、大好きだった両親の怨念も混ざっている魔族に殺されれば、ねるはどう思うか。ねるの両親は自ら最愛の娘を手にかけ、魔族に何を思うか。
即ち、絶望だ。
「最期まで魔族を信じようとした己を憎み、そして人にも魔族にも魔物にも絶望し、憎み――。
魔族を殺し尽くすまで消滅しない。さらには敗北という概念そのものが存在しない。絶対無敵にして不死身の怪物。
最悪、そんなモノが生まれ出ていたかもしれない―――。」
そして、村の外という枷も無くなることで、その怪物は村の外に出て、延々と自らを信仰し続ける世界を拡げ続けるかもしれない。
「どう転ぼうとも手出しはできない。一つの世界が生み出した、理を越えた存在など、同じ理を越える神や勇者クラスでなければ戦う事すらできない。」
「え…?」
「いや、どちらにせよソレも相当の抵抗をするだろうから、鎮める過程で恐ろしいほどの被害を出すだろうな…。」
「……………。」
「…かいり?」