どれほどの時間があったのか。
一週間を超える待ち時間であったか。或いは一日も無かったような―――。
時流は語られぬが、諸々の準備が整い、海底離宮攻略の作戦開始がいよいよ明日へと迫り、ヴェリナードに集った突入部隊達は作戦開始前の決起会として、城内の大食堂へ招かれていた。改めて、危険な任務であろうと集ってくれたことへの感謝。そしてこれからの作戦の成功と無事を祈り、ささやかな宴席だとディオーレ女王からの招待だ。バカ騒ぎは困るが、楽しんでほしいとのことらしい。
並ぶは古今東西の絢爛美味な料理の数々。ヴェリナードの名料理人達が腕を振るった至高の皿。出身に合わせて、ウェナ諸島以外の料理もちらほら見かけられた。
宴席は夜間を通して行われ、各々が明日からの作戦に英気を養っている中…かいりは宴の酒気に充てられ、席を抜け出して外の風に当たっていた。
「大丈夫かい?」
ふと、はっきりした意識の裏…いや後ろから声をかけられたと分かった。一緒にいた時間はそう長くはない筈なのだが、不思議とその声色はもうすっかり耳に馴染んでいて、振り返るまでもなく誰かが分かった。
「うん。りんどーも酔い覚まし?」
「私は酔わない体質だから平気だよ。かいりが出ていくのが見えたから。」
強力な毒耐性も術に修めているリンドウは、体内のアルコールの分解速度も並外れている。酒に強いわけではないが、このおかげで酔い潰れる心配はないのだ。本当に、あらゆる状況下に対応できる多彩な魔術を持ち合わせている。その技の一つか…何もない空中から水を一杯生み出し、そしてコップに注ぎ彼女に渡した。
「ありがと。…ふう。」
喉を鳴らして水を胃に流し込む。少し温めの水と、冷たい夜風が身体を清めるようで、心地いい。少し思考もクリアに澄んだ気がして、今なら思慮深くもなれそうだ。
「ねえ、りんどー。」
「ん?」
「昨日の話、考えてくれた?」
この海底離宮攻略の作戦が終わって、無事戻ってこれたら、私と一緒に冒険をしたい。
リンドウがかいりにそんな勧誘を受けたのは、イオリ村から帰還して後、一息付けた時の突然の話だった。言葉は理解できても話の流れが分からず、その場では曖昧な返事をするだけにしてしまったが、考える事だけはちゃんとしていた。
直感で分かる。かいりのこれは、一時的なものではない。伝説の勇者たちのパーティのように、ずっと一緒に冒険をしようという、至極単純な誘いだ。単純でまっすぐで…そして、自分にはひどく、難しいと思った。
ヴェリナード国にとってリンドウの扱いは食客だ。他国に仕えるなどの常識の範疇を越えた行動を取らない限り、リンドウの在り方はある程度融通の利くものだった。だからヴェリナードを離れ、どこかへ冒険をしていようと構わない。元々方向音痴の渡り鳥のようにじっとはしていなかった性分だ、今更ではある。
だがリンドウは、マスターを失ったあの日から、二度と冒険者に戻らないと決めていた。冒険者と呼べるような生活も、十年以上前にかつての友人であったアザミと過ごした一年程度のものだから、経験者と呼べるものでもないのかもしれないが、それでもリンドウの今までの人生で一番自由だった。
自由で、活き活きとしていて、眩しくて、無鉄砲で…自分には、過ぎたものだと、今は思う。
いや…違う。違う事を、もうリンドウは知っていた。
要は、怖いのだ。また、誰かを失う事を。
ねるがイオリ村へのクエストを言い出した時に反対したのと同じだ。弟子を失うのが怖い。親しい人を失うのが怖い。情に絆された人を失うのが怖い。愛しい人を失うのが、怖い。
どれだけ魔術を磨いても、どれほど実績を上げても、心は乾いていく。恐怖が自分の欲求全てを吸い上げて、最後には出涸らしの様に後悔と罪業しか残らない。
その生き方は、まるで殉教者ではないか―――。いつしか、ディオーレ女王にそう窘められた事を思い出す。でも、仕方ない。そうするしかできない。それがもう、一度決めてしまった自分の在り方なのだから。たとえこの道の先に待つのが自滅なのだとしても、それでいい…それが、魔女に身を堕とした者には、相応しい末路だ。
だから、断るつもりでいたのだ…が。
「…一つ、聞いていい?どうして、私なの?」
断るなら、自分を選んだ理由など聞いてどうするのか。口に出した直後にそう気付いて後悔もしたが遅く、しまったという顔になる。
「私は…かいりに誘われるような立派な魔法使いじゃない。私は呪われている。いずれ無感動で悲惨な滅びを迎える、英雄には相応しくない野垂れ死にをするかもしれない。」
傷つけたくないのだ。穢したくないのだ。壊したくないのだ。誰にも見つけられていない、夜空の一等星を。
だから…私は一人でいるべきなのだ。