さて、10周年も近いこの時期なんで、思い出話でも書きますか。
物騒なタイトルで申し訳ありません。
別にアンチではなくて、アストルティアは1度その世界が「終わって」います。
ドラクエ10が発売されたのは、2012年8月2日です。
僕はウェディでプレーしてるけど、レーンの村の前はスライムを狩る冒険者でごった返してました。
今じゃ絶対に見れない光景です(笑)
実は発売前に「ベータテスト」と呼ばれる「試験導入期間」がありました。
製品化する前の動作確認だったり、負荷対策であったり、直接ユーザーからの意見を聴いた上でのブラッシュアップであったり。
10年も前のことなので、だんだん記憶が薄れていますが、掻い摘んでいろいろ書いていきましょうかね。
当時はサーバが3つしかなかった。
いや、もっというと1つしかなかったんだけど、途中から3つに増えた(笑)
僕が始めた頃は「フェーズ1.2」という段階でした。
もっと古い、一番最初の頃は「ランガーオ村と獅子門周辺」だけだった舞台が「グレン城」にまで広がった。
今でもサーバ1のグレンでパーティ募集が盛んですよね?
あれは、ベータテストの名残なんです。
ほぼ最初からあった「街」がグレンだった。
「パーティ組みませんか」っていうデフォルトの定型文があるけど、当時は僕も含めて「知らない人とパーティを組む」ことすらハードルの高いことでした。
グレン東で雑魚キャラを知らない人と狩りながらレベル上げ。おそるおそる「フレンドになってください」なんてね。
そもそも最初の頃は24時間いつでもログインできるわけではなかった。
時間が制限されており、午後10時をすぎると毎日メンテ。
そもそも「フェーズ」は1週間とか期間が区切られてました。
この午後10時というのも、その後午前1時(だったかな)までになり、その後24時間運営に変わっていきました。
午後10時をすぎるとみんなで「冒険者の広場」にアクセス。
やはり大好きなドラクエの開発の一端に関われる機会だったので、とても楽しかった。
何より初代ディレクターの藤澤氏が熱かった!
もともとオンラインゲームを毛嫌いしてたフシのある僕ですら「この人達と作るゲームなら続けよう!」と思ったものです。
当時はレベルの上限が20でした。
というか、レベル上限が10から20に開放されました。
ちなみに舞台はオーグリードでしたが5種族みんな混在してました。
あの頃の「ラスボス」はグレン東に1匹だけ存在する「太古のぬし」でした。
15分に1回しかポップしなかったんですが、みんなお行儀よく順番に並んで挑戦。
周りではみんなで「おうえん」し、見事倒せたら「おめでとう」と拍手が飛び交う・・・
「あったかいドラクエ」そのものの世界がそこにありました。
その後レベルは40まで開放され、ベータテストの「フェーズ2」ではオルフェア周辺が開放、その後メギストリスに至るまでのルートまでが開放されることになります。
なお、オーグリード大陸もグレン西、ベコン渓谷、ランドン山脈などが開放。
「妖剣士オーレン」絡みのクエストも体験できました。
職人制度はなし。旅人バザーも開放されず、とにかくお金が稼げなかった(笑)
その都度の「一番強い敵」も推移していきました。
雲上湖にはハヌマーンがいた。ベータテスト最終フェーズの頃の最強の敵はピィピの宿近辺の洞窟にいた「キングレオ」とベコン渓谷の最深部にいた「キングリザード」ですね。
ミュルエルの森の最深部には「ベルフェゴル」もいました。
今でもいますよね、確か。
当時最強の攻撃手段は盗賊の「ウイングブロウ」でしたか。
最強の装備は「まほうのよろい」です。今でもいろんな職で装備できますが、これはベータテストの名残でもあるんですね。
ここに書ききれない話、まだまだいっぱいあるけど、ベータテストの世界は当然終わらないと、正式なオープンができません。
わかっているとはいえ、一生懸命育てたキャラデータは消えてしまいます。
発売の約半月前、7月16日だか17日だか、ちょうど10年前の今頃ですね。
午前3時、正確には6分遅れで、アストルティアは「終わった」のです。
多くの冒険者がサーバ1のグレンに集まって、その後「10年続くドラクエ」に思いを馳せながら手を振り、チャットをし、拍手をし・・いきなり画面は真っ暗になったのです。
結果的には、あれから本当に10年、アストルティアは続いてますね。
そして、僕も歳をとってしまいました(笑)
あの頃最強だったこいつ。
写真は9年前のだけどね。
あんな強かったこいつが正式版では「ザキ」で一発で倒されてしまって、その後呪文が修正・・・無力化されたっけ(笑)