さて、現時点でのエンドコンテンツの最高峰、デルメゼの強さ4が実装されますね。
楽しみにしている方も多いでしょう。
でも「自分には無理」と最初から諦めている方も多い、というか冒険者の割合的にはそちらのほうが多いと思います。
先日エックス(冒険者の名前じゃなくてSNSね)で、フォロワーさんとこの話題になりました。エンドコンテンツを楽しむフレとの距離感というか溝みたいなものを感じて寂しい想いもしている、と要約するとそんな感じの話。
今日は、いわゆるバトルガチ勢とそうでない人の格差がなぜ生まれたのか、その点について考えていきます。まず強敵コンテンツの歴史?から。
ドラクエ10で初めてストーリーからかけ離れて実装された強いモンスターといえば、真ピラミッドの地下にいる「ダークネビュラス」です。
フィールド上での戦闘なので、外から誰でも見れる。そして戦闘フィールドの外から「おうえん」したり無事倒せたら周りでおめでとうの白チャが飛び交ったり、そこには「あったかいドラクエ」の世界がありました。
キラクリの実装からほどなく登場したのが「常闇の聖戦」のレグナードです。このあたりから「ついていけなくなる」人が出てきたわけですね。
エンドコンテンツだから強くて当たり前、というのは間違ってないんですが、自分には倒せない、と諦めてしまった人たちに共通する点や背景として、以下の4点があると考えています。
1.サポート仲間を使って冒険することに慣れてしまった
2.バトルのうまい人同士が高みを目指す風潮
3.周りと比較してしまって、遅れを取ることによる劣等感
4.最高難易度が基準になってしまう雰囲気
ストーリー攻略などでサポート仲間を使ったバトルはタゲ判別やタゲ下がりといった、エンドコンテンツ特有のバトルテクニックがほぼ不要です。エンドコンテンツの場合はまず、人と組んで練習することから始めないといけません。
2番目の話と被ってくるのですが、要は練習する場を自分で作れない。野良の緑玉の「練習PT」はみんな練習したいので結果的に練習にならない。練習はうまい人とやらないとうまくなりません。
そして2番目の話。いつしかうまい人たちは「3人討伐」だったり「傭兵」だったりといった方向に走っていくことになり「まだ称号を取ってないフレのために」とかって考えの人が減ってきてしまった。
もちろん自分がバトルを楽しむために同じくらい、またはそれ以上うまい人と組む、フレになるという流れは正しいけど「称号を取った先にある目標」を目指す人が増えたことで「上手くなりたいけど取り残された人」が増えてしまった。
さらに一緒に戦えるフレがいないので野良で、、と思っても、うまい人たちがうまい人同士で組んでしまうので野良にも来なくなってしまい「取り残された人」がつらい状況になってしまう。
そんな状況での3番目の話。勝てずにいると精神的に「闇落ち」してしまう人が増える。勝てないと焦りも出てくるけど、勝てない人からすると「下手な自分のために助けてくれ」と言いにくいんですよね。
そして4番目の話。最高難易度のバトルで勝ちたい、と思うなら、難易度の低いところから場数を踏んでいくのが理想なのですが、その練習に付き合ってくれる人がいない。難しい中での練習をしないといけなくて、その環境すら整えるのが難しい。
もちろん、みんながやりたいことをすればいいと思うんだけど、個人的には「少人数討伐」に流れる風潮が嫌いなんですよね。その空いた1枠で勝てずにもがいてる人に手を貸してあげようってならない雰囲気が、そこに「あったかいアストルティア」なんてのはないなーと、そこが残念だったりします。
強敵コンテンツの実装から1か月くらいは少人数討伐を制限してほしいなって思うんですけどね。
そこへきて先日期間限定コンテンツとして登場した「りゅうおう」は、期間限定ってこともあったのか、6分以内の討伐を終えた上手い人が称号狙いに力を貸すシーンを結構見かけて、個人的にはうれしかったですね。
今はデルメゼ4の実装前ってことで、デルメゼ3で「リハビリ」「ウォーミングアップ」してる方が多いですよね。とても盛り上がってていいと思う。
ここで大事なのは、デルメゼ4が実装されても、デルメゼ2とか3でバトルしたって全然いいんだよってことです。そして、上手い人も、気が向いた時だけでもいいから「本当は頑張りたいと思ってる人」に力を貸してあげてほしい。
僕も実装初日は出張だったり、ログインできるのは限られた時間ではあるけど、やれる範囲で頑張れたらいいなーと思います。
この「やれる範囲で」ってのが、すごく大事です。
やりたければ頑張ればいいけど、無理しちゃダメだってことです。
それでは、さようなり~~