【広場から来ました】
【提案から来ました】
古来より、日誌や足跡に対してカキコミをかける場合においては、
カキコまれた側が『どこのチムのもんじゃワレェ!』と言い放ち、
素性を明らかにさせることが一種の様式美となっていた。
しかし、この仕組みはカキコまれた側がカキコむ側を察知するという
めんどくさい手続きを踏む必要があり、
カキコミ側は簡単なアンケートに答えることが必須であったため、
奇襲など望むべくもなかった。
このため、カキコミ側は不利な条件下での戦闘を強いられていたのである。
また、ゲーゲレ先生に『どこのチムのもんじゃ』と尋ねると
もんじゃ焼の店を紹介されるなど話的にも残念である。
ももんじゃ自体は残念ではない。
そこでカキコミ側は、
広場や提案から来ましたと先に言ってしまうことにしたのである。
これは一見すると何の名乗りにもなっていないようにも見えるが、
なんか言っとけ理論により有無を言わさず次の行に移ることができる。
これによりカキコミ側はけたたましいドラキーマ通知音とともに
急に攻め入ることが可能になり、カキコミ戦略の幅が広がる結果となった。
話が長くなったが、
このセリフは現代においてもマイページへの奇襲に用いられている。
マイページはもんじゃ焼きまたはガチの処刑人に常に狙われているのだ。
日頃から財布と弾薬の貯蔵を充分にして備えよう。
【まったり】
努力目標として掲げるチーム運営方針の一つ。
絶えず闘争の中に身を置く冒険者が、
まったりの思想を十全に発揮することは多くの場合困難である。
なんかまったりするために現実を超越しようとか
まったり以上の四文字以上で表すと難しい話になってしまうし、
なんか必死感が出てしまうのだ。
従って指導者達は安らぎたいんで難しく考えないでいこーぜ
=まったりを努力目標として掲げていくということになるのである。
つまり、チームの立ち上げ時の我らがまったりは未完成であるということになる。
『これこそが我々のまったりである。私が作りました』
などとは生産者の口からはとても言えないのだ。
しかしそれを理解しないまったり原理主義者達は、
既にまったりが完成されたものとしてチームなどのコミュニティに流入してくる。
当然、完成されていないまったりに太刀打ち出来るはずもない。
そう長く時間をかけずまったりしない者や
別のまったり対する粛清が始まるわけである。
粛清方法は、固定パーティ村八分、常時非表示、
自分だけ挨拶をハブる、四人乗りドルボードに3人だけ載せるなど、
おもったより卑劣なやつである。
その行動スピードは彼らの流儀に従いまったりと行われるため、
たぶん誰も気づかないし、どうでもよくなってくるだろう。
そして最終的にまったりは完成する。
しかしそれは誰かの理想のまったりであり、
チーム開始当初の我らまったりなどではなくなっているはずなのだ。
そのぐらいまったりは恐ろしいのだ。
軽々しくまったりなどというと大変なことになる気がするから注意してほしい。
【聖守護者を倒した】
どうやって倒してしまったのか。
倒したのは魔族ではなかったのだろうか…