(以下バージョン7.0までのネタバレがあります。)
(6)(7)では「気」について考えてみます。
ジーガンフはシュタール鉱野の休憩所で、生命が持つエネルギーについて述べ、後にハディン採石場の最奥でこの自身の言葉を思い出します。
「ふむ……万物に宿る エネルギーか。
たしかに ある流派の武術にも
似たような教えは あるがな。」
そしてジーガンフはハディン採石場でこの言葉の回想に続いて、
「創生のチカラ……生命のエネルギー……
武術で言う 『気』のようなもの……。
もしや……気を集中させた 攻撃ならば
フーラズーラを 倒せるのか?」
と疑問を口にし、これにラキが同意します。
ラキによると、創生のチカラが宿る攻撃ならフーラズーラを倒せるとのことです。
そしてジーガンフは、
「ふうぅぅぅ…………。
気を……集中させる……!」
と、両腕を肩の高さに上げて息を吸い、両腕を下げながら「ふうぅぅぅ…………」と息を吐き、自身の体の気を操作しているようです。
「おおおおおッ!」
と声をあげながら全身に黄色かオレンジ色の光をまとい、フーラズーラに攻撃を仕掛け、倒すことに成功します。
続いてジーガンフは主人公に対してもフーラズーラを倒すよう促し、
「いいか 主人公 こいつは
お前が倒せ! 気を集中させるんだ。
そうすれば 攻撃が フーラズーラに通用する!」
フーラズーラとの戦闘になり、ジーガンフはさらに指示を出してきます。
「深く呼吸をしろ。気の巡りを感じるんだ……」
しばらく経つと主人公のコマンド欄に「????」が現れ、選択すると「気を高める」が表示されます。
こうした一連の流れから、まず深い呼吸をし、呼吸を整えていくことで、体内に創生のチカラを有する「気」の巡りが感じられ、次第に「気」は高まるようです。
こうした「気」と呼吸の関係は、現実世界の「気」の理論とかなり似ているようです。
NHKブックスの『気とは何か』p.30-32によると、
「気」とは、生命体に特有の未知のエネルギーのことで、心理(こころ) - 生理(からだ)- 物理(もの)という三つのレベルに変換してその効果をあらわすそうです。
気は、瞑想と武術・気功などの訓練を積んだ者ならその流れを感じることができるものの、
誰でも日常普通に感じているわけではなく、通常の意識状態では認識できないそうです。
これは普通の意識とはちがった「変成意識状態」という心理状態で、無意識下の心のはたらきが表面まで現れてきた状態とのことです。
ラキは「実践しないと身につかない」、ジーガンフも「本来これを会得するには修行が必要」とそれぞれ述べていて、知識の習得だけでは気の操作はできないようです。
主人公はジーガンフの指導のもとで呼吸をコントロールし、体内の気の巡りを感じ始めてから気を高めているようで、通常の意識ではこうした気の操作はできないようです。
また、気が練られるとジーガンフの体から黄色またはオレンジ色の光が出ていますが、同書p.123と134によると、これを「生物光子(バイオフォトン)」といい、
著者の実験によると、気を出すと発光量が増え、気を止めるとすっと減るそうです。
心身の訓練に熟達した修行者は、気をコントロールでき、フォトンに加えて赤外線・磁場・超低周波などまで、意識集中(「意念」)によってその発現状態をコントロールできるそうです。
そして、東洋の修行法にみられる瞑想や武術の訓練は、必ず呼吸法の練習から始まるそうです。
ヨガなどの呼吸法のことを「プラナヤーマ」と言いますが、「プラ(ー)ナ」は〝生命エネルギー〟でガーディアンの特技名にもなっていて、「(アー)ヤーマ」は〝制御する〟の意です。
気を研究していた本山博氏の書籍によると、気の源流は中国ではなくインドやネパールで、インドヨガの生理学の上に発達した「気」の概念が、紀元前400〜200年前に中国に輸入され、そこで独自の発展を遂げて、鍼灸医学として広まったそうです。
この際に、プラーナとウダーナは「上焦」(「焦」とは熱エネルギーのこと)、サマーナは「中焦」、アパーナは「下焦」として中国へ輸入されるのですが、
ヴァーナ(身体全体に存在し、運動を制御する)や死後の心や体といった宗教的な性向は捨象され、
現実世界の体の次元においてのみ「気」が解釈されるよう中国版アレンジがされていったそうです。
生命が持つエネルギーについて(7)へ続きます。